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弘山晴美 : ミニ英和和英辞書
弘山晴美[ひろやま はるみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [び]
  1. (n,n-suf) beauty 

弘山晴美 : ウィキペディア日本語版
弘山晴美[ひろやま はるみ]

弘山 晴美(ひろやま はるみ、旧姓・鈴木。1968年9月2日 - )は、日本女子の元陸上競技中距離走長距離走マラソン)選手。現在は陸上競技の指導者及び昭和女子大学非常勤講師などを担当。夫も同じ陸上競技元選手・現指導者(2015年4月より筑波大学陸上部・長距離走コーチ)の弘山勉。現在1児の母。
== 人物 ==
徳島県鳴門市出身。血液型はB型。 鳴門市立大麻中学校時代に陸上競技を始め、中学時代に第1回全国都道府県対抗女子駅伝競走大会にも徳島県代表として出場している。徳島県立鳴門高等学校を経て国士舘大学卒業後の1991年に資生堂に入社。
1993年2月に資生堂ランニングクラブの元選手で、引退後同コーチに就任した弘山勉(2007年4月~2013年3月まで同RC監督を担当)と結婚。その後もミセスランナーとして長い間にわたり、日本女子陸上界のエースとして君臨、現役時代は「トラックの女王」の異名を持っていた。現役当時日本女子の若き陸上選手からは、目標とする選手に弘山の名前を挙げる事が多かった。
オリンピックには、1996年アトランタオリンピック2000年シドニーオリンピック2004年アテネオリンピックと長距離トラック代表選手として、3大会連続出場という偉業を成し遂げているが、かつて日本女子の陸上トラック競技で五輪3回出場は弘山が初めてであった(フィールド競技では過去に佐藤恵が日本女子で初の五輪3大会連続で出場した。またその後、福士加代子が日本女子では最多となる五輪4大会連続代表入り(長距離走・3回とマラソン・1回)を果たしている)。
また世界陸上選手権には通算4回出場しており、1999年世界陸上セビリア大会では女子10000mで4位入賞するなど、合計3種目で8位以内の入賞を果たした。なお、弘山と同じ1968年生まれで活躍した日本女子陸上選手に、松野明美真木和鈴木博美がおり、この4人が「四天王」と謳われた時期もある。
かつて1500m3000m5000mのトラック3種目で同時に日本記録を独占していたことがあった。さらに、フルマラソンにおいても2時間22分56秒の日本歴代8位の好記録を持っている。
現役の社会人時代は資生堂の社員らしく、競技においても女性らしさを大事にしており、一個人として競技に参加する場合は、基本的にブルマー状のランニングパンツを着用していた。これは部の大先輩であり、東京国際女子マラソンに第1回から連続して参加していた、松田千枝の影響を受けているものと思われる(部の1年先輩である谷川真理を始め当時の所属選手のほとんども同様だった)。ただ、駅伝など団体の一員として参加する大会においては、一般的なランニングパンツを着用することのほうが多かった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「弘山晴美」の詳細全文を読む




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