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平惟盛 : ミニ英和和英辞書
平惟盛[たいら, ひら]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [これ]
 (int,n) (uk) this

平惟盛 ( リダイレクト:平維盛 ) : ウィキペディア日本語版
平維盛[たいら の これもり]

平 維盛(たいら の これもり)は、平安時代末期の平家一門の武将平清盛の嫡孫で、平重盛の嫡男。
平氏一門の嫡流であり、美貌の貴公子として宮廷にある時には光源氏の再来と称された。治承・寿永の乱において大将軍として出陣するが、富士川の戦い倶利伽羅峠の戦いの二大決戦で壊滅的な敗北を喫する。父の早世もあって一門の中では孤立気味であり、平氏一門が都を落ちたのちに戦線を離脱、那智の沖で入水自殺した。
== 生涯 ==

=== 立嫡 ===
保元3年(1158年)、平氏棟梁である平清盛嫡男・重盛の長男として生まれる。母は官女とされるが、出自など詳細は不明。父・重盛は20歳、祖父・清盛と共に保元の乱平治の乱を戦っていた頃である。乱の勝者となった清盛は権勢をふるい、重盛はその嫡男として順調に出世を重ねた。
嘉応2年(1170年)7月に異母弟の平資盛が起こした殿下乗合事件を記した九条兼実日記玉葉』には、資盛を「嫡男」と記しており、更に維盛の従五位下叙位が10歳の時の仁安2年(1167年)であるのに対し、年下の資盛の従五位下叙位がその前年である事から、維盛は元々重盛の庶長子で後に嫡男として立てられたと見られている。なお、維盛立嫡の時期については『玉葉』の記事のある嘉応2年(1170年)7月から、維盛が資盛の官位を追い抜いた同年12月の間の時期に行われたと推定されている〔高橋秀樹『日本中世の家と親族』吉川弘文館、1996年。ISBN 4642027513〕。維盛13歳の時である。承安2年 (1172年)、15歳で藤原成親の次女・新大納言局を正室に迎える。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「平維盛」の詳細全文を読む




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