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帷子辻 : ミニ英和和英辞書
帷子辻[かたびらがつじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

帷子 : [かたびら]
 【名詞】 1. light hemp garment 2. thin morning kimono
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
: [つじ]
 【名詞】 1. street 2. crossroad 

帷子辻 : ウィキペディア日本語版
帷子辻[かたびらがつじ]

帷子辻(かたびらがつじ)は京都市北西部にあったとされる場所〔京極夏彦の小説『帷子辻』(『巷説百物語』所収)の舞台でもある。〕。現在の「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」付近と言われる〔現在の地名は「帷子ノ辻、帷子辻(かたびらのつじ)」。『都名所図会』(江戸時代の京都の地誌、観光ガイドブック)では「帷子辻(かたびらのつじ)」。現在の名は(京都市右京区太秦)帷子ケ辻町(かたびらのつじちょう)。京福電気鉄道の駅名は「帷子ノ辻駅(かたびらのつじえき)」。〕。
== 由来 ==
平安時代初期、嵯峨天皇皇后であった橘嘉智子(たちばなの かちこ、786年 - 850年)は仏教信仰が厚く、檀林寺〔「平安時代、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(檀林皇后。786 - 850)によって、現在の京都天竜寺(京都市右京区嵯峨)の地に創建されたで、現在は廃絶(田村晃祐による解説、『日本大百科全書(小学館)』)。」〕を建立したことから「檀林皇后」と呼ばれた。また貴族の子弟教育のために学館院を設けるなど、多くの功績があった。
伝説によると、檀林皇后はすばらしい美貌の持ち主でもあり、恋慕する人々が後を絶たず、修行中の若い僧侶たちでさえ心を動かされるほどであった。こうした状況を長く憂いてきた皇后は、自らが深く帰依する仏教の教えに説かれる、この世は無常であり、すべてのものは移り変わって、永遠なるものは一つも無い、という「諸行無常」の真理を自らの身をもって示して人々の心に菩提心(覚りを求める心)を呼び起こそうと、に臨んで、自分の亡骸埋葬せず、どこかのに打ち棄てよと遺言した。
遺言は守られ、皇后の遺体は辻に遺棄されたが、日に日に腐りカラス食となって醜く無残な姿で横たわり、白骨となって朽ち果てた。人々はその様子を見て世の無常を心に刻み、僧たちも妄念を捨てて修行に打ち込んだという。皇后の遺体が置かれた場所が、以後「帷子辻」と呼ばれた場所である〔。一説には皇后の経帷子死装束)に因んだ名とされる〔「帷子」の解説(『世界大百科事典』平凡社)「夏の着物の一種。かたびらは袷(あわせ)でなく裂(きれ)の片方を意味し,帳(ちよう)の帷 (い)や湯帷子(ゆかたびら)はその原義を示しているが、のちには単物(ひとえもの)を称するようになった。このほか装束の下に用いる帷子と,小袖の表着(うわぎ)としてとくに麻あるいは生絹(きぎぬ)の単物をいう場合もある。」〕。
九相図」(九相詩絵巻)〔野に捨てられた死体が腐乱し、白骨となる様を主題とした絵画。「人道(九)不浄相之図」。「檀林皇后九相図会」、「小野小町九相図」など代表的な美人モチーフとすることがある。〕は檀林皇后(または小野小町等)の遺体が朽ち果てる様を九つの絵で描いたものとされる。
また詩書には「檀林皇后の御尊骸を捨てし故にや、今も折ふしごとに女の死がい見へて、犬などのくらふさまの見ゆるとぞ、いぶかしき事になん」とある。この意味について「もともと帷子辻は、こうして自らをなげうって人々の救済しようとした檀林皇后の遺志の源であったはずであるが、その後この辻を通りかかると、犬やカラスに食い荒らされるの死体の幻影が見えると恐れられるようになった」との解釈もあるが、「後にも檀林皇后の例に倣い、女の死体が捨てられることがある」との意味に解釈すれば怪異でも何でもない、との指摘もある。
江戸時代の『都名所図会』によると、帷子ノ辻は「材木町の東にあり 上嵯峨下嵯峨太秦(うずまさ)常盤(ときわ)廣澤(ひろさわ)愛宕(あたご)等の別れ」とある。
現在の帷子ノ辻から西北西(嵯峨野の北西、奥嵯峨)に位置する化野(あだしの)は鳥辺野(とりべの)〔京都市東山区南部、五条坂阿弥陀ケ峰北麓)から南麓の今熊野にいたる丘陵地、鳥辺山のふもと一帯を総称して鳥辺野と呼ぶ。〕、蓮台野(れんだいの)〔京都市北区(左)大文字山の東山麓。西蓮台野町、東蓮台野町の地名はここに由来する。〕とともに古来の風葬の地、葬送の地として知られる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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