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小辺路 : ミニ英和和英辞書
小辺路[こへち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [へん]
 【名詞】 1. (1) area 2. vicinity 3. (2) side (of triangle, rectangle, etc.) 4. (3) circumstances 
: [ろ]
 【名詞】 1. road 2. street 3. path

小辺路 : ウィキペディア日本語版
小辺路[こへち]

小辺路(こへち)は、熊野三山への参詣道・熊野古道のひとつ。高野山和歌山県伊都郡高野町)と熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町本宮)を結び、紀伊山地を南北に縦走する。
== 概要 ==

小辺路は弘法大師によって開かれた密教の聖地である高野山と、熊野三山の一角である熊野本宮大社とを結ぶ道である。熊野古道の中では、起点から熊野本宮大社までを最短距離(約70キロメートル)で結び、奥高野から果無山脈にかけての紀伊山地西部の東西方向に走向する地質構造を縦断してゆく〔熊野記念館資料収集調査委員会自然・歴史部会57 〕。そのため、大峯奥駈道を除けば最も厳しいルートである〔宇江27 、小山155 など。〕。(→#自然誌参照)
近世以前の小辺路は紀伊山地山中の住人の生活道路であり、20世紀になって山中に自動車の通行できる道路が開通してからも、おおよそ昭和30年代までは使用され続けていた。そうした生活道路が、熊野と高野山を結ぶ参詣道として利用されるようになったのは近世以後のことであり、小辺路の名も近世初期に初出する。小辺路を通行しての熊野ないし高野山への参詣記録は近世以降のものが大半を占め、近世以前の記録もいくつか確認されているが少数である。(→#歴史参照)
高野山(和歌山県伊都郡高野町)を出発した小辺路はすぐに奈良県に入り、吉野郡野迫川村十津川村を通って柳本(十津川村)付近で十津川(熊野川)に出会う。柳本を発って果無山脈東端にある果無峠を越えると和歌山県側に入り、田辺市本宮町八木尾の下山口にたどり着く。ここからしばらくは熊野川沿いに国道168号線をたどり中辺路に合流し、熊野本宮大社に至る。(→#小辺路の峠参照)
古人のなかには全ルートをわずか2日で踏破したという記録もある〔土居清良の事績(後述)。熊野記念館資料収集調査委員会自然・歴史部会59, 63 、奈良県教育委員会60→2005b: 528 など。〕 が、現在では2泊3日または3泊4日の行程とするのが一般的である〔宇江129-137 、小山155 など。〕。日本二百名山に数えられる伯母子岳が単独で、または護摩壇山の関連ルートとして歩かれている〔一例として、〕 他は交通至難であることも手伝って歩く人も少なく、静謐な雰囲気が保たれている。また、高野山から大股にかけてなど著しい破壊の見られる区間(後述)も若干あるものの、良好な状態の古道がまとまって残されている〔小山168-169、173 〕 点も評価されている。
ただ、全ルートの踏破には1000メートル級の峠3つを越えなければならず、一度山道に入ると長時間にわたって集落と行き合うことがないため、本格的な登山の準備が必要で、冬季には積雪が見られるため、不用意なアプローチは危険と言われている〔一般向けガイドの例として、このマップでは「熟練者向けのハードコース」としている。また、熊野記念館・玉置といった晩秋から冬季にかけての踏査記録には、積雪に関する記述や写真が見られる。特に、玉置らは猛吹雪に見舞われ、峠での40センチメートルの積雪や和歌山県側の積雪で道が不明確であったことなどに阻まれて、充分な調査ができなかったと述べている1979: 28 。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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