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安政大地震 : ミニ英和和英辞書
安政大地震[しん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 
大地 : [だいち]
 【名詞】 1. ground 2. earth 3. the solid earth 4. the (vast) land 
大地震 : [だいじしん]
 (n) major earthquake
: [ち]
  1. (n,n-suf) earth 
地震 : [じしん]
 【名詞】 1. earthquake 

安政大地震 ( リダイレクト:安政の大地震 ) : ウィキペディア日本語版
安政の大地震[あんせいのおおじしん]

安政の大地震(あんせいのおおじしん/だいじしん)は、江戸時代後期の安政年間に日本各地で連発した大地震である。
世にいう「安政の大地震」は、特に1855年に発生した安政江戸地震を指す〔『日本大百科全書』小学館、1994年〕〔東京都 東京都立図書館: 安政の大地震大火絵図〕〔花咲一男『大江戸ものしり図鑑』主婦と生活社、2000年〕ことが多いが、この前年に発生した南海トラフ巨大地震である安政東海地震甲府市 安政の大地震〕および安政南海地震〔 ふるさと教育読本, 和歌山発見, 安政の大地震と浜口梧陵〕も含める場合もあり〔都司嘉宣『千年震災』ダイヤモンド社、2011年〕、さらに飛越地震安達實(1999) 安達實, 大塚安兵衛, 北浦勝(1999): 常願寺川・藩政期から明治期の治水, 地震, 第2輯, 土木史研究第19号, 自由投稿論文. 〕〔国土地理院 国土地理院: 飛越地震(安政の大地震)の被害と土地条件〕、安政八戸沖地震青森県 青森県防災ホームページ, 地震総覧〕、その他伊賀上野地震みえきた市民活動センター 幕末・維新の桑名藩シリーズ11, 幕末の災害, 安政伊賀地震他〕に始まる安政年間に発生した顕著な被害地震も含めて「安政の大地震」と総称される〔『日本国語大辞典』小学館、2000年〕〔中嶋眞澄(2006) 中嶋眞澄(2006): Gamma函数の漸近公式の厳密な別証明, 鹿児島経済論集, 47(3), 147-164.〕〔「安政の大地震」: 安政年間の13回の地震の総称であり、特に江戸地震を指すとしている(『日本国語大辞典』『日本語大辞典』)。〕。
安政大地震、あるいは安政地震とも呼ばれるが、単に「安政地震」といえば、南海トラフが震源と推定される宝永地震や昭和地震に対比して安政東海地震と安政南海地震を総称して呼ぶ場合もある〔五つの大地震 高木金之助編、沢村武雄「五つの大地震」『四国山脈』毎日新聞社、1959年〕。
1854年の伊賀上野地震、安政東海地震、安政南海地震および豊予海峡地震嘉永7年に発生した地震であり、当時の文書日記瓦版などは「嘉永七年甲寅・・」と記され、地震後の嘉永7年11月27日(1855年1月15日)に安政に改元されたため本来「嘉永の大地震」と呼ぶべきであるが〔湯村哲男(1969) 湯村哲男(1969): 本邦における被害地震の日本暦について, 地震, 第2輯, 22, pp.253-255, 〕、明治改元の際、詔勅で「慶応4年(1868年)を明治元年と改元する」とされ慶応4年1月1日に遡り明治元年と改元された例に倣い、嘉永7年1月1日に遡って安政元年に改元されたと解釈され、「安政の大地震」でよいとされる〔神田茂(1970) 神田茂(1970): 本邦における被害地震の日本暦の改元について, 地震, 第2輯, 23, pp.335-336, 〕。
歴史年表は嘉永7年1月1日に遡り安政元年とし、『大日本地震史料』から『理科年表』に至る各種の地震史料はこの方式を採用している〔震災予防調査会編『大日本地震史料』丸善、1904年〕〔文部省震災予防評議会『大日本地震史料 増訂』1940年〕〔武者金吉 『日本地震史料』 毎日新聞社、1951年〕〔宇津徳治、嶋悦三、吉井敏尅、山科健一郎『地震の事典』朝倉書店、2001年〕〔宇佐美龍夫『最新版 日本被害地震総覧』東京大学出版会、2003年〕〔国立天文台編『理科年表』丸善〕。
== 幕末に連発した大地震 ==

1853年7月8日(嘉永6年6月3日)には黒船来航、同年8月22日7月18日)にはディアナ号が来航し、江戸幕府は相次いで開港を迫られる時勢にあった。ディアナ号で来航したプチャーチンは嘉永7年11月4日の安政東海地震に遭遇する直前の11月1日下田の福泉寺で幕府から派遣された川路聖謨らと会見し下田が安全な港でないことを力説し代港を強く求めていた〔石橋克彦『大地動乱の時代 -地震学者は警告する-』岩波新書、1994年〕。
東海地震津波で荒廃した下田はその後、長崎を凌ぐ日本の外交の最前線となり、1856年にはハリスが着任して幕府との交渉にあたった。ハリスのとなった唐人お吉も支度金25、年俸125両で身売りせざるを得なくなったのは、生家が東海地震津波で流され貧苦のどん底に落とされた背景があったとされる〔竹岡範男『唐人お吉物語』芸風書院、1980年〕。
「安政の大地震」はこのような幕末の多難な状況下で討幕運動に呼応するかの如く連発した大地震であった〔〔山下文男『隠された大震災』東北大学出版会、2009年〕〔門村浩、松田磐余、高橋博『実録 安政大地震 その日静岡県は』静岡新聞社、1983年〕。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「安政の大地震」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ansei Great Earthquakes 」があります。




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