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奥殿藩 : ミニ英和和英辞書
奥殿藩[おくとのはん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おく]
 【名詞】 1. interior 2. inner part 
殿 : [どの, との]
 【名詞】 1. (pol) person 2. Mister (mostly in addressing someone on an envelope) 3. Mr 
: [はん]
  1. (n,n-suf) fiefdom 2. domain (precursor to current prefectures) 

奥殿藩 : ウィキペディア日本語版
奥殿藩[おくとのはん]
奥殿藩(おくとのはん)は、三河国額田郡奥殿陣屋に藩庁を置いた。領地は三河国額田郡・加茂郡(現在の愛知県岡崎市)のほか信濃国佐久郡(現在の長野県佐久市)に存在し、信濃国の領地の方が大きかった。藩庁は何度か移転しており、江戸時代初期の立藩時には加茂郡の大給陣屋、幕末期には信濃国の龍岡城(田野口陣屋)に置かれた。大給藩(おぎゅうはん)、田野口藩(たのくちはん)・龍岡藩(たつおかはん)についても、実質的に同一の藩であることからこの項目で記述する。
大給藩としての立藩より幕末まで石高(1万6000石)は変わらず、一貫して松平家大給松平家)が支配した。
== 藩史 ==

=== 大給藩 ===
大給松平家は徳川家康の5代前の松平家当主・松平親忠の次男・松平乗元より始まる一族で、代々松平宗家に譜代の家臣として仕えた。第5代当主・松平真乗の次男で徳川秀忠に仕えた松平真次は、大坂の役の功などにより加増を受ける際、知行地として先祖ゆかりの三河加茂郡大給(現在の愛知県豊田市)を望み、6000石の旗本としてこの地に陣屋を構えた。真次の子・松平乗次は、大坂定番となって摂津国河内国丹波国などで1万石を加増され、1万6000石の大名となった。
宝永元年(1704年)、第3代藩主・松平乗真の代に、近畿地方など領地1万2000石に代り、信濃国佐久郡田野口に同石高の領地が与えられた。また乗真は、大給が山間にあって交通の便も悪く手狭となったことを理由とし、正徳元年(1711年4月28日、藩庁を領内の奥殿に移転した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「奥殿藩」の詳細全文を読む




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