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大道寺将司 : ミニ英和和英辞書
大道寺将司[だいどうじ まさし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

大道 : [だいどう]
 【名詞】 1. main street 2. avenue 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [しょう]
 【名詞】 1. commander 2. general 3. leader 

大道寺将司 : ウィキペディア日本語版
大道寺将司[だいどうじ まさし]
大道寺 将司(だいどうじ まさし、1948年6月5日 - )は、日本の新左翼活動家、俳人東アジア反日武装戦線“狼”部隊のメンバーで、リーダー格の人物。確定死刑囚
== 人物 ==
北海道釧路市出身。小学生時代より、新聞を丹念に読み、スクラップ帳を作る父親や、北海道議会議員だった母親の義理の兄、そしてその息子で高校生ながらに60年安保反対運動の先頭に立っていた太田昌国らの影響から、政治への関心を持つようになる〔松下竜一『狼煙を見よ~東アジア反日武装戦線”狼”部隊』(河出書房新社、1987年)p69~p71〕。中学校入学後は学区の中にアイヌ居住区が含まれていたため、多くのアイヌの同級生たちと交流する中で、その厳しい暮らしぶりや中学3年時でのアイヌに対する就職差別を目の当たりにし、問題意識を抱くようになった〔『狼煙を見よ』p72〕。
北海道釧路湖陵高等学校入学後はさまざまなデモに参加するようになる〔『狼煙を見よ』p75〕。同高を卒業後、大阪外国語大学を受験。不合格となるが、そのまま大阪に残り〔『狼煙を見よ』p77〕、釜ヶ崎近辺での約一年間の生活を経て、〔『大道寺将司獄中書簡集 明けの星を見上げて』P102〜P104〕早稲田大学受験を口実に上京。実際には試験は受けず、そのまま浪人生活を送りながら、高校の同級生らとさまざまなデモに参加。そのなかで高校の先輩たちが中心の社会主義研究会に参加するようになる。この研究会の意向で法政大学に同会の運動の足場を固めるべく、同大文学部史学科に入学〔『狼煙を見よ』p83~p88〕。入学当初は文学部の自治会を掌握していた社青同解放派と行動したが〔『狼煙を見よ』p94〕、セクトの上意下達の雰囲気に馴染めず、大学のクラスメイトだった片岡利明らと法政大学Lクラス闘争委員会を結成した。他学科の哲学科や国文科(現在の日本文学科)にも参加を呼びかけた結果、一時は百数十名にも膨れ上がったが、全共闘運動70年安保闘争の「敗北」とともに自然消滅する〔『狼煙を見よ』p105~p110〕。大学も中退〔『大道寺将司獄中書簡集 明けの星を見上げて』P105〕したが、闘争の継続の為に、片岡らLクラス闘争委員会のメンバー数人と共に研究会を結成。1970年7月7日に出された華僑青年闘争委員会新左翼各派に対する「決別宣言」に衝撃を受ける。このことをきっかけにこの「研究会」では、「日本帝国主義」がアジアで行ってきた「悪行」について集中的に学習し、過激な反日思想を醸成させていった。〔『狼煙を見よ』p110~p111〕。そして北海道出身の大道寺にとってはアイヌへの贖罪意識があった〔『狼煙を見よ』p124〕。
ゲリラ闘争への転換を決意し、反日戦線結成前(1971年)の「興亜観音・殉国七士之碑爆破事件」、風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件、1972年末東アジア反日武装戦線「狼」部隊結成。その後、お召し列車爆破未遂事件(虹作戦)及び三菱重工爆破事件を含む9件の「連続企業爆破事件」を起こす。三菱重工爆破事件では時限爆弾のペール缶を爆破現場に設置した。後に9件の爆破事件で起訴された。
裁判中、容易に自供に応じたことへの後悔の念と、初期の支援団体を率いていた「狼」のメンバー佐々木規夫の兄らに焚き付けられるように激しい獄中闘争・法廷闘争〔『狼煙を見よ』p220~p256〕を展開。その渦中において、日本赤軍が起こしたクアラルンプール事件ならびにダッカ日航機ハイジャック事件によって、「狼」のメンバーであった佐々木や大道寺あや子(高校の同級生で、東京での浪人時代からの活動仲間であり、将司の妻)および「大地の牙」メンバーであった浴田由紀子超法規的措置釈放・出国したが、しばらくして大道寺はこの釈放を日本赤軍に対して仲間を連れ去ったと不快感を示している。
最高裁において1987年3月24日死刑が確定した。
死刑執行されていないのは、かつての「狼」メンバーであり、企業爆破に関与した佐々木および大道寺あや子が、日本赤軍が起こした2件のハイジャック事件(クアラルンプール事件・ダッカ日航機ハイジャック事件)の際、日本赤軍側の要求を呑んだ日本政府による超法規的措置として出獄し、海外において日本赤軍に合流後の消息が不明となっており、裁判が終了していないためとされる。
一方で獄中から、松下竜一中山千夏辺見庸 らの知識人との交流の過程において、自身も文芸活動を開始。獄中で詠んだ句集『棺一基』は、2013年日本一行詩大賞の俳句部門を受賞した〔日本経済新聞2013年9月26日朝刊。〕。
2016年現在、東京拘置所収監されている。再審請求中。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大道寺将司」の詳細全文を読む




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