翻訳と辞書
Words near each other
・ 大慈寺 (岩舟町)
・ 大慈寺 (志布志市)
・ 大慈寺 (栃木市)
・ 大慈寺 (栃木県下都賀郡岩舟町)
・ 大慈寺 (熊本市)
・ 大慈寺 (盛岡市)
・ 大慈弥レイ
・ 大慈弥功
・ 大慈弥恵麻
・ 大慈彌功
大慈恩寺
・ 大慈恩寺 (成田市)
・ 大慈院
・ 大慈院 (札幌市)
・ 大慈院聖久
・ 大慈院聖紹
・ 大慌て
・ 大慧会教団
・ 大慧宗杲
・ 大慧會教団


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大慈恩寺 : ミニ英和和英辞書
大慈恩寺[だいじおんじ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じ]
 【名詞】 1. love 2. affection (for) 3. pity 
: [おん]
 【名詞】 1. favour 2. favor 3. obligation 4. debt of gratitude 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 

大慈恩寺 : ウィキペディア日本語版
大慈恩寺[だいじおんじ]

大慈恩寺(だいじおんじ)は、中国陝西省の古都、西安市南東郊外約4kmにある仏教寺院であり、三蔵法師玄奘ゆかりの寺として知られている。
その故地は、朝の都、長安城においては、東南部、左街の晋昌坊に当たる場所であった。
== 概要 ==
の大興城にあった無漏寺(一説に浄覚寺)の故地に、648年貞観22年)、皇太子の李治が、亡母(文徳皇后)追善のために建立したのが、大慈恩寺である。その名は「慈母の恩」に由来する。
各地から、良材を集め建てられ、その規模は、子院(塔頭)10数院を擁し、建築物は総数1,897間、公度僧だけで300名という大寺であった。帰朝した玄奘は、本寺の上座となり、寺地北西の翻経院で仏典の漢訳事業に従事した。当寺での、玄奘の訳経活動は、658年顕慶3年)までの11年に及び、合わせて40部余の経典が漢訳された。玄奘の弟子である(窺基)は、師から相承した法相宗を宣教し、「慈恩大師」と呼ばれた。
652年永徽3年)、大雁塔が建立される。当初は、玄奘がインド西域から持参した仏像や経典を収蔵するための塔であった(大雁塔の項を参照)。
唐代半ば以降、大慈恩寺の境内には、大きな戯場があり、俗講や見世物が行われていた。また、牡丹の名所としても知られ、それを詠んだ多くの漢詩が知られ、藤も植えられていた。春には、寺が所有していた南にある通善坊の「杏園」で杏の花が、夏には、寺の南池で蓮の花が咲き、秋には、柿がなり、紅葉につつまれたと伝えられる。
845年会昌5年)の、武宗による会昌の廃仏の時には、大薦福寺西明寺大荘厳寺と共に、廃寺を免れた。
1550年嘉靖29年)に、現在の大慈恩寺が建立されたといわれる。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大慈恩寺」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.