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大宅壮一 : ミニ英和和英辞書
大宅壮一[おおや そういち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たく]
 【名詞】 1. house 2. home 3. husband 
: [いち]
  1. (num) one 

大宅壮一 : ウィキペディア日本語版
大宅壮一[おおや そういち]

大宅 壮一(おおや そういち、1900年(明治33年)9月13日 - 1970年(昭和45年)11月22日)とは、日本ジャーナリストノンフィクション作家。毒舌の社会評論家として有名である。妻は大宅壮一文庫の理事長を務めた大宅昌、三女はジャーナリストの大宅映子
== 来歴・人物 ==

=== 生い立ち ===
大阪府三島郡富田村(現高槻市)の醤油屋に父・八雄、母・トクの三男として生まれた。祖父の八右衛門は、嫁入りの日に差し押さえを受けるような貧しい所から富を作ったり、法廷へ出るのに衣類が無くて薦を被って行ったという者の金まで絞り取る程の残酷な人だったが、妻子には甘かった、と大宅壮一自身が書き残している。父は『14歳より放蕩を始め、青年時代に法律を志して弁護士試験に失敗し、中年よりは選挙、警察界に足を入れて産を傾け、最後に生涯離さなかった酒の為に死んだ。父は寡黙、寛大、鷹揚で、殊に他人の物と我が物とを区別する観念が甚だ乏しかった』〔大宅壮一『青春日記』〕。放蕩の一端として『芸者を総上げして遊び廻ったり、角力のある毎に酒樽の鏡を抜いて自由に飲ましてやり、入浴に若い力士二三人に肩を流させたりした』〔大宅壮一『青春日記』 中公文庫上下で刊、1979年。〕。何人もの返済の当ての無い者に大金を恵むも同然に貸していた為、人望は厚く名士であった。また醤油製造の仕事はきっちりこなしていた。
兄の勇一も放蕩者であり得意先や掛取で頭を下げるのを嫌った為、家業はもっぱら壮一の肩に任された。なおこの兄は1916年(大正5年)に放蕩の末病を得て実家に戻り、1917年(大正6年)に徴兵され近衛騎兵に配属、同年末、朝鮮鎮海湾の要塞の砲兵大隊に合格し転勤する。母は富田に近い福井村出身であった。いつも目を赤く腫らしているような神経質な人であった。セイ、ユウという姉が二人おり、ユウは大阪の質屋の永井家に嫁いだ。弟の活男がいた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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