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大セルビア主義 : ミニ英和和英辞書
大セルビア主義[ぎ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビア : [びあ]
 【名詞】 1. beer 2. (n) beer
: [ぬし, おも]
 【名詞】 1. owner 2. master 3. lover 4. god 
主義 : [しゅぎ]
 【名詞】 1. doctrine 2. rule 3. principle 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 

大セルビア主義 ( リダイレクト:大セルビア ) : ウィキペディア日本語版
大セルビア[だいせるびあ]

大セルビア(だいセルビア、セルビア語:)はセルビアの民族主義者の間にみられる民族統一主義の概念である。
== 概要 ==

この主張では、バルカン半島西部の広大な領域をセルビア領であるべきものとしている。これに含まれる領域は、それぞれ次の3つの理由のうち少なくとも1つに当てはまることによりセルビアに属するべきとされる。その理由は、
# セルビア人がヨーロッパに到達したときのセルビア人の居住地であり、いわばセルビア人の故地である領域。(シュマディア Šumadijaモンテネグロなど)
# 中世セルビア王国の拡張後の支配領域(プレシェヴォ渓谷 Preševo Valleyマケドニアなど)
# 多くのセルビア人がその後移り住んでいる領域(ヴォイヴォディナクニンなど)
その第一の目標は、すべてのセルビア人とセルビア人の土地をひとつの国家に統一することであるが、そのなかでも過激なものではセルビア人が少数でも居住している土地や、セルビア人が継続的に住んできた歴史のない土地も含められることがある。
セルビア人の土地を統合する考えのなかで最も単純な形態は、現存するセルビアを拡張することである。例えば、今日においてはセルビア共和国の国境を外側へ押し広げることに相当し、19世紀においてはセルビア王国の領土を拡張することを意味する。
大セルビアは、セルビア国家にとって必要不可欠なものであるという主張は繰り返しなされてきており、そのような主張をする政治家は、セルビアの歴史的な格言「統合のみがセルビア人を救う」を引用し、その必要性を訴えてきた。多数のセルビア人の集団がセルビア国外に居住し続けており、特にボスニア・ヘルツェゴビナに、そしてかつてはクロアチアにも多くのセルビア人が居住してきた。この方針は第一次世界大戦の原因となり、国境外の各方面のセルビア人たちが統一セルビアの建設のために戦い、また1990年代のユーゴスラビア紛争においては統一されたセルビアの「維持のために」戦った。
大セルビア建設のための別の手法は、セルビア国外の南スラヴ人地域にプロパガンダを広めることである。「大セルビア」の名称はセルビアの拡張を示唆したものであるが、この用語は1918年ユーゴスラビア建国の頃にも使用された。ユーゴスラビアは表面的には多民族共存の国家であったが、その内情はセルビア人の政治家が多数派を握っていた。ユーゴスラビア運動に反対した者は、これはセルビア人が多数派を占める国家を周囲に押し付けることになると見ていた。一方、ユーゴスラビア建国に賛成した者は、これがセルビア人の単一国家への統合の上での土台であり、したがってユーゴスラビアにおいてセルビア人の地位を低下させることはユーゴスラビア建国の阻害要因になると見ていた。セルビア人以外の民族に対するユーゴスラビアの無関心は、イストリア半島やその他の領土をイタリアに割譲し地域のクロアチア人の指導者の怒りを招いたことや、スロベニアを海のない内陸国家のままにしておいたことなどに露見している。
汎スラヴ運動がセルビア統一主義の支持者に乗っ取られた形になったが、少なくないセルビア人は汎スラヴ主義を支持し、あらゆる形のセルビア優位に異を唱えた。また、セルビア人民急進党en)などセルビア統一主義の立場からも、セルビア人以外との統合に反対の声が上がった。
大セルビアの概念は、19世紀にセルビアの大臣イリヤ・ガラシャニンIlija Garašanin)の著作物ナチェルタニエ(Načertanije)が起源であるとみられる。その目的は、当時オスマン帝国オーストリア=ハンガリー帝国によって分断されていたセルビア人の土地を統合することにあった。この著書のなかで、バルカン半島においてほとんどの場所で多数あるいは少数のセルビア人が住んでいるが、帝国によって支配されているとし、セルビアマケドニアコソボボスニア・ヘルツェゴビナクロアチアヴォイヴォディナならびにルーマニアブルガリアおよびハンガリーの一部をセルビア人の土地に含めた。ガラシャニンの計画では、主に親セルビア的な扇動家によるプロパガンダの流布を通じてこれらの国々にセルビア人の影響力を広め、オスマン帝国が完全に崩壊したときには最も望ましいセルビアの姿を作り上げる手段とすることが提唱されている。元来、この計画はセルビア国家統合の青写真として描かれたものであり、民族意識に欠けるとされる周囲の人々に対してセルビア人、親セルビア的な民族意識を植え付けることによってセルビアの領域を拡張することを第一の目的としている。ガラシャニンの著書では、セルビアの領域拡大のための暴力やテロリズム活動についての言及はない。
後の発展によってガラシェニンのナチェルタニエは2つの特徴的な要素へと変化した:(1) オスマン帝国の粉砕を第一義的に意図した本来のプロパガンダの青写真は、従来セルビアの一部になったことのない地域へセルビアを拡張する地政学的な指南となった。それらの中での仮想的なセルビアの国境には、今日のクロアチアの大半(ヴィロヴィティツァ=カルロヴァツ=カルロバグ線en)の内側の全域)、ならびにボスニア・ヘルツェゴビナモンテネグロコソボおよびマケドニア共和国の全域、そしてアルバニア北部が含まれ、これを称して大セルビアとした。(2)もうひとつの変化では、この青写真は軍事戦略へと変貌し、時として黒海進出を意図するものとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大セルビア」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Greater Serbia 」があります。




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