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多品治 : ミニ英和和英辞書
多品治[おお の ほんじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [ひん]
 【名詞】 1. thing 2. article 3. goods 4. dignity 5. article (goods) 6. counter for meal courses 

多品治 : ウィキペディア日本語版
多品治[おお の ほんじ]
多 品治(おお の ほんじ、生年不詳 - 持統天皇10年 (696年) 8月?)は、日本の飛鳥時代の人物である。旧仮名遣いでの読みは「おほのほむぢ」。姓ははじめ、後に朝臣672年壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)の側で戦い、莿萩野を守って敵を撃退した。
== 壬申の乱での活躍 ==

壬申の乱が勃発したとき、多品治は美濃国の安八磨郡(安八郡)の湯沐令であった。皇子の生計を支えるために設定された一種の封戸を管理する役職である。
大海人皇子は、自身が行動をおこす2日前の6月22日に、村国男依和珥部君手身毛広は3人で美濃国に先行するよう命じた。彼らの任務は多品治に連絡し、まず安八磨郡を挙兵させることであった。彼らと多品治は無事にその任を果たし、美濃の兵3千が大海人皇子のために不破道を塞いだ。このおかげで大海人皇子は東国の兵力を集めることができた。
美濃国に入った大海人皇子は、7月2日に軍をそれぞれ数万の二手に分けて、一軍を伊勢国の大山越えで大和国へ、もう一軍を直接近江国に入らせることを命じた。多品治は、紀阿閉麻呂三輪子首置始菟とともに大和に向かう軍を率いた。この後で品治は別に命令を受け取り、3千の兵とともに莿萩野(たらの)に駐屯することになった。莿萩野の位置については、伊賀(当時は伊勢国に属す)の北部との説が有力であるが、いずれにせよ大和 - 伊賀 - 伊勢 -美濃と続く連絡線のうち伊賀を守る位置である。これと別に、田中足麻呂が近江と伊賀を結ぶ倉歴道を守る位置についた。
これに対して大友皇子側の将、田辺小隅は、5日に倉歴に夜襲をかけた。守備兵は敗走し、足麻呂は一人逃れた。小隅の軍は翌日莿萩野を襲おうとしたが、多品治はこれを阻止し、精兵をもって追撃した。小隅は一人免れて逃げた。以後大友方の軍勢が来ることはなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「多品治」の詳細全文を読む




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