翻訳と辞書
Words near each other
・ 喜多山駅 (愛媛県)
・ 喜多山駅 (愛知県)
・ 喜多嶋修
・ 喜多嶋舞
・ 喜多嶋隆
・ 喜多川2tom
・ 喜多川修平
・ 喜多川務
・ 喜多川千鶴
・ 喜多川喜久麿
喜多川守貞
・ 喜多川宗典
・ 喜多川常麿
・ 喜多川式麿
・ 喜多川拓郎
・ 喜多川拡
・ 喜多川擴
・ 喜多川月麿
・ 喜多川歌麿
・ 喜多川歌麿 (2代目)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

喜多川守貞 : ミニ英和和英辞書
喜多川守貞[もり]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [もり]
 【名詞】 1. nursemaid 2. baby-sitting 

喜多川守貞 ( リダイレクト:守貞謾稿 ) : ウィキペディア日本語版
守貞謾稿[もりさだまんこう]
守貞謾稿(もりさだまんこう、守貞漫稿とも)は、江戸時代後期の三都(江戸・京都・大阪)の風俗、事物を説明した一種の類書百科事典)である。著者は喜田川守貞(本名・北川庄兵衛〔)。起稿は1837年(天保8年)で、約30年間書き続けて全35巻(「前集」30巻、「後集」5巻)をなした。刊行はされず稿本のまま残されたが、明治になってから翻刻された。1600点にも及ぶ付図と詳細な解説によって、近世風俗史の基本文献とみなされている。
== 著者 ==
著者・喜田川守貞(きたがわ もりさだ)に関しては未詳の事項も多い。本人が守貞謾稿に「概略」として記した記事には、彼は1810年文化7年)6月に浪華に誕生、当時は石原姓を名乗ったが、1837年天保8年)に江戸深川に下り、後、1840年(天保11年)9月(数え31歳)に北川家の嗣子となったとある。その後もしばしば江戸・大坂間を往還したらしい。別名喜田川季荘(きたがわきそう )。また、現代の研究では通称は庄兵衛、は月光庵であったと考えられている。嘉永6年(1853年)の序文によると、商人であるが、一生を空しく過ごすのは残念であるとの思いから一書を著そうと思い立ち、民間の雑事を記録することにした、という〔『読史余録』幸田成友著 (大岡山書店, 1928)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「守貞謾稿」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.