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双大竜亮三 : ミニ英和和英辞書
双大竜亮三[そうたいりゅう りょうぞう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そう, ふた]
 【名詞】 1. pair 2. set 
: [りゅう]
 【名詞】 1. (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi) 
: [み]
  1. (num) three 

双大竜亮三 : ウィキペディア日本語版
双大竜亮三[そうたいりゅう りょうぞう]

双大竜 亮三(そうたいりゅう りょうぞう、本名:高橋 亮三(たかはし りょうぞう)、1982年7月26日 - )は、福島県福島市出身の大相撲力士時津風部屋所属。身長179cm、体重126kg、血液型はA型。最高位は西前頭15枚目(2013年3月場所)。
== 経歴 ==
福島市立蓬莱小学校4年の時に担任教師に勧められ相撲を始める。福島市立蓬莱中学校では、相撲部がなく、陸上競技部に所属し、砲丸投の選手であった。その後、福島県立会津農林高等学校から東京農業大学に進学。八角部屋朱雀は高校・大学の同級生である。国民体育大会の福島県代表に選ばれ〔第58回 国民体育大会 秋季大会 福島県選手団 〕、大学4年時には相撲部主将を務めるなど将来を嘱望されたが、2004年5月に腹膜炎を患い、当時116kgあった体重が20kgほど減少する。このため大学卒業間際の2005年3月にようやく医師からの許可が下り、4月に時津風部屋に入門、平成17年夏場所新弟子検査を受験し合格、角界入りを果たす。
夏場所の前相撲で新序出世を果たし、翌名古屋場所は東序ノ口40枚目で全勝優勝、1場所で東序二段33枚目に昇進、秋場所も6勝1敗で続く九州場所では東三段目70枚目へ昇進、その場所でも7戦全勝で、優勝決定戦では影山に敗れ優勝は逃したものの、翌2006年初場所で東幕下45枚目へ昇進と、順調に昇進していた。2006年、6場所中4場所で勝ち越すものの、最高で5勝2敗とそれまで三段目以下で見せたほどの勢いはなく、幕下中位から下位に留まる。2007年、いずれも4勝3敗の成績ではあったものの、初場所から3場所連続で勝ち越し、名古屋場所では自身最高位の東幕下10枚目の地位まで昇進するが、場所前に発生した時津風部屋力士暴行死事件や右肘手術〔『相撲』2015年6月号101ページ〕の影響もあり、その場所から3場所連続で負け越し、再び幕下中位に番付を下げる。
2008年、初場所こそ5勝2敗と勝ち越すが、足の怪我の影響でその後3月場所から3場所連続で3勝4敗と負け越し、東幕下48枚目まで番付を下げる。この間に暴行死事件により高校・大学の後輩が逮捕されたこともあり相撲に集中できなくなり、一時は引退も考えたという〔その当時は体重110㎏程度でプロレス転向には適性のある体型であったため、引退して大日本プロレスへ入門することを考えていたが、双大竜を見たアブドーラ小林は「もし相撲が無理でも東農大卒なら再就職先にはそう困るまい。」と一言で追い返したという説がある。〕が、それを立ち直らせた者もまた事件で有罪判決を受けた後輩であり「自分の分もがんばって関取になって欲しい」との言葉で相撲への熱意を取り戻した。〔対照的な二人の新十両、双大竜と徳真鵬への期待 SportsGraphic NumberWeb 2009/09/21 08:00 〕2008年9月場所で6勝1敗の好成績を収め、その場所から2009年7月場所まで6場所連続で勝ち越しの好成績を収め、再び幕下上位に番付を上げる。自己最高位の西幕下筆頭で迎えた2009年7月場所では、3番目で前場所まで2場所十両を務めた福岡に敗れるも、それ以外の取組に全勝、幕下で自身5場所ぶり2回目、かつ優勝同点となる6勝1敗の好成績を収め、8人で争った優勝決定戦では準決勝で敗れたものの、7月29日の番付編成会議で9月場所での十両昇進が決まった。なお双大竜の四股名が暴行死事件を起こした前師匠15代時津風の現役時の四股名、双津竜と類似していることから現師匠である16代時津風は十両昇進とともに四股名の変更を検討していたが〔、双大竜は「偉大な横綱(双葉山)の名が入っている」として変更を希望せず〔、新十両になった際も四股名は変更されなかった。
新十両として迎えた9月場所は11日目から5連敗を喫し最終的に5勝10敗となり、他力士の星、および幕下からの昇格候補力士の数の関係で、1場所で幕下降格となった。
2011年7月場所は10場所ぶりの十両復帰(西十両7枚目)を果たし、8勝7敗と十両では初の勝ち越しを果たした。翌9月場所は7日目の妙義龍戦で上手投げで敗れた際に負傷し、中日から自身初の途中休場となった。翌11月場所は東十両11枚目まで番付を下げ、10日目まで7勝3敗であったが、その後5連敗で7勝8敗と負け越した。翌2012年1月場所は東十両12枚目で初日から5連勝して10日目に勝ち越しを決め、最終的に10勝5敗と十両では初の二桁勝利を挙げた。翌3月場所は西十両3枚目で6勝9敗と負け越し。その後は一進一退が続いたが、東十両4枚目だった2013年1月場所で9勝6敗と勝ち越して、翌3月場所で新入幕を果たした(西前頭15枚目)。その3月場所で4勝11敗の大敗を喫して1場所で十両に後退し、それを皮切りに4場所連続で負け越しを喫した。9月場所を7勝8敗としながら番付運に恵まれて据え置きの東十両10枚目の地位を与えられた11月場所は、中日まで3勝5敗と不調だったもののそこから挽回して14日目に5場所ぶりとなる勝ち越しを決め、最終的に8勝7敗の成績を残した。以来、翌2014年5月場所まで4場所連続で8勝7敗の勝ち越しを果たすなど十両での成績が一時期安定していたが、東十両筆頭まで番付を回復して再入幕目前となった7月場所は惜しくも7勝8敗の負け越しに終わった。その後も右肘や首の痛みに苦しみ精彩を欠き、2015年5月場所は幕下へ陥落。稽古が満足にできない中で5月場所を迎えたが、この場所は6番相撲で負け越しとなった。〔

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「双大竜亮三」の詳細全文を読む




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