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友情人形 : ミニ英和和英辞書
友情人形[ゆうじょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とも]
 【名詞】 1. friend 2. companion 3. pal 
友情 : [ゆうじょう]
 【名詞】 1. friendship 2. fellowship 
: [じょう]
 【名詞】 1. feelings 2. emotion 3. passion 
情人 : [じょうにん]
 【名詞】 1. lover 2. sweetheart 3. mistress
: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1
人形 : [にんぎょう]
 【名詞】 1. doll 2. puppet 3. figure 
: [けい, かたち, ぎょう]
  1. (suf) shape 2. form 3. type

友情人形 ( リダイレクト:青い目の人形 ) : ウィキペディア日本語版
青い目の人形[あおいめのにんぎょう]

青い目の人形(あおいめのにんぎょう、)は、1927年に、アメリカ合衆国から日本に両国間の親善を目的として贈られた人形(Friendship Dolls:友情人形またはAmbassador Dolls:人形使節)の日本における通称。本記事では日本より返礼のために贈られた人形(Japanese Friendship Dolls:答礼人形)についても解説する。
== 概要 ==

日露戦争後に日本満州の権益をにぎると、中国進出をうかがっていたアメリカ合衆国とのあいだで政治的緊張が高まっていた。また、アメリカ本国においても、日系移民がアメリカへ大量に移住することにより、1日1ドルの低賃金でも真摯に働く日本人によって、アメリカ人の労働力を損ねる恐れがあったためや、予てから根付いていた人種的偏見等も相俟って、1924年にジョンソン=リード法(通称「排日移民法」)が成立した事もまた、両国民の対立を深めつつあった。そんななか、1927年(昭和2年)3月、日米の対立を懸念し、その緊張を文化的にやわらげようと、アメリカ人宣教師シドニー・ギューリック博士(1860年1945年)が子供の世代からの国際交流を重視すべく「世界の平和は子供から」をスローガンとして掲げ〔武田・1985年 p.15。〕、親善活動がおこなわれた。その一環として、米国から1927年3月3日に間に合う様に日本郵船等5社(他に大阪商船(現・商船三井)、Dollar Steamship Company(現・アメリカンプレジデントラインズ)、Kawasaki Roosevelt Line(現・川崎汽船)、China Mutual Steam Navigation Company(現・ブルー・ファンネル・ライン)〔Packing Dolls for Their Trip to Japan - American Blue-eyed Dolls〕
)の前橋丸、アングル丸など12隻〔渋沢伝記第38巻 p.75。〕に分乗し日本の子供に12,739体〔寄贈された人形の個数は資料により異なる。本記事にある12,739体は渋沢史料館提供の『青い目の人形にはじまる人形交流展(横浜人形の家・刊)』に記載された数)であり、American Blue-eyed Dolls Locations には12,294体、"Dolls of Friendship"(1930年刊)にはアメリカ各地より贈り出されたのが11,276体(武田・1985年 p.233~238)、『渋沢栄一伝記資料第38巻』には13,357体(破損6)と記されている。この他、個人篤志家からの157体や各州代表人形も贈られている(青い目の人形エレン・Cと答礼人形長崎瓊子(たまこ)の背景 )。出典:親善人形の会ニュース第190号 (SWFファイル) 2015年6月6日閲覧。〕の「青い目の人形」が、遅れて鳥羽丸で各州代表の人形48体〔アラスカハワイは当時は含まれていない。それぞれ1959年に州に昇格。〕とミス・アメリカ及びワシントンDCが数日後に贈られた〔この夏、「平和」を考えてみませんか? - 公益財団法人 渋沢栄一記念財団〕。仲介者は渋沢栄一であった。
12,739体の「青い目の人形」はニューヨークサンフランシスコを出港し、横浜神戸に到着した後、1927年3月3日に東京の日本青年館や大阪の大阪市中央公会堂で歓迎式典が行われ〔THE WEEKLY REPORT VOL.43 No.39 - 水海道ロータリークラブ週報 2006年5月31日付。〕〔Reception at Osaka - American Blue-eyed Dolls〕、全国各地の幼稚園・小学校に配られて歓迎された(但し、数が限られていたこともあり、全ての小学校・幼稚園(大正15年当時:小学校25,490、幼稚園1,066、合計26,556〔<研究ノート>弘前学院の友情人形(俗に青い目の人形)を追跡して - 弘前大学〕)に配布されたわけではなく、抽選で決められた所もある〔武田・1985年 p.23。〕)。道府県ごとの人形の分配については均等とは限らず、文部省の基準により、師範学校の附属校や道府県庁所在地及び主要都市ならびに外国人の多く滞在する地区の幼稚園・学校等から優先されているが、あくまでも目安であり、あとは自治体の判断に委ねられることになった〔親善人形の会ニュース第231号 (SWFファイル) 2015年10月31日閲覧〕〔「青い目の人形」異聞 横浜人形の家を訪ねて 菊地昭男 - 2015年11月9日閲覧。〕。
1000体程の余った人形も一部の家庭に配布された〔是沢 p.82~83,104。〕。ミス・アメリカ及びワシントンDCと48体の各州代表人形は天候不良による遅延のため、1927年3月14日に到着し、3月18日に天洋丸の船室で児童の出迎えを受け、横浜の本牧小学校で歓迎式典を開かれた後、皇室に献上される為同月26日に東宮御所に運ばれた(48体の各州代表人形は後に香淳皇后より、内帑金(ないどきん)が下賜され、子供たちの利用が多い東京博物館(現国立科学博物館)の上野別館に建てられた人形の家材の5分の1の模型で1階は和室、2階が洋間のしつらえになっていて、庭には遊具が備えられていた〔武田・1985年 口絵p.2、p.21・22。〕)にて、同数の日本人形と共に展示されていたが、戦火の混乱でその殆どが行方不明となった。)。
返礼として、渋沢栄一を中心とした日本国際児童親善会による呼びかけで、人形が贈られた幼稚園・小学校の児童から集められた募金を元に製作された「答礼人形」と呼ばれる市松人形58体(ミス大日本及び1道3府43県や主要6都市・統治していた外地4箇所の名を冠した人形)が同年11月に天洋丸で日本からアメリカ合衆国に贈られた。
日本に贈られた「青い目の人形」だが、太平洋戦争第二次世界大戦)中は反米・反英政策により敵性人形としてその多くが処分された。しかし、処分を忍びなく思った人々が人形を奉安殿備え付けの棚や天井裏、床下、物置、石炭小屋、教員の自宅などに隠し、戦後に発見された。現存する人形は2016年3月現在、332体〔平和の使者、里帰り 大垣市の棚橋さん所有「青い目の人形」 - 岐阜新聞Web 2016年3月14日号、2016年3月17日閲覧。〕にすぎないが、日米親善と平和を語る資料として大切に保存されている。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「青い目の人形」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Japanese friendship dolls 」があります。




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