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卒煙 ( リダイレクト:禁煙 ) : ウィキペディア日本語版
禁煙[きんえん]

禁煙(きんえん)とは、喫煙禁止する、若しくは喫煙者が喫煙習慣を止める事である。
喫煙の禁止としての「禁煙」(smoking ban, smoking restrictions)は、飲食店交通機関、さらには路上などの公共の場、もしくはオフィスなど職場での喫煙を禁止するものである。個別の方針として決定されている場合と、法律により定められている場合とがある。
喫煙習慣を止める「禁煙」(Smoking cessation)については、能動的にやめる場合を「断煙」という場合がある。また喫煙者として現役引退またはタバコなどを卒業した場合を「卒煙」という。
ただし、無理な禁煙は治療の有無を問わず様々な症状を伴うことが報告されており、基礎疾患として有している精神疾患の悪化を伴うことがあるので注意が必要である〔[http://www.info.pmda.go.jp/go/pack/7990003F1028_2_08/ チャンピックス錠0.5mg/ チャンピックス錠1mg添付文書〕。
嫌煙権も参照。
==歴史==
禁煙それ自体は歴史的に古く、1575年にメキシコで禁煙条例が出され、メキシコの教会またスペインのカリブ植民地で禁煙が命じられた。またオスマン帝国でも1633年、喫煙を禁止した。同時期に欧州でも喫煙者を教会から破門すべきかどうか議論された。16世紀後半にはオーストリアやバヴァリアで、また1723年ベルリンで、1742年ケーニヒスベルクで禁煙条例が出された。こうした禁煙条例は、1848年の革命で廃止された。
国民規模で行われた禁煙運動はナチスによって行われた。ナチスは大学、郵便局、軍用医院などが禁煙にされた。
第二次世界大戦後から現在にいたる禁煙運動は主にアメリカ合衆国からはじまっている。
日本では、煙草の伝来した1605年(慶長10年)頃より喫煙習慣がひろまった。当初は薬として喫煙されていた。「当代記」慶長十三年十月の条に

とある。
林羅山は煙癖があったと見えて、佗波古(たばこ)希施婁(きせる)に関する文章を執筆している。「莨※文」では

と記し、酒の代わりとしている。
幕府は、失火の原因となり、煙草の植附けは田畑を荒すなど弊害あるものとして、慶長十四年七月、たばこを禁止した。
「タバコ法度之事、弥(いよいよ)被レ禁ト云々、火事其外ツイエアル故也。」
穂積陳重はこれを日本における禁煙法令の初めとしている〔法曹夜話 十七 〕。
慶長十七年八月、幕府は、耶蘇教、屠牛に関する禁令とともに、煙草に関する禁令を出した。

こののちも幕府はしばしば喫煙および煙草耕作の禁令を出したが〔穂積陳重「五人組制度」〕、その頃の落首に、

というものがあり、完全に統制されていたわけではなかった。
慶長の幕府の喫煙禁止令に応じて薩摩の島津藩でも禁煙が命令された。薩摩ははやくより南蛮との貿易をはじめており、喫煙風習もひろがっていた。
文之は「南浦文集」で次のような喫煙と頽廃に関する詩を残している。

島津藩の禁煙令については、「崎陽古今物語」に記事がある。

これによれば、島津藩では喫煙者を死刑に処していた。しかし、抑止力はなかったとはみえ、同書、前掲文の続きに、

とあり、さらに後年、薩摩煙草は名産物になった〔法曹夜話 十八 禁煙令違反者の処分 穂積陳重〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「禁煙」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Smoking ban 」があります。




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