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千代の山雅信 : ミニ英和和英辞書
千代の山雅信[ちよのやま まさのぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せん ち, ち]
 【名詞】 1. thousand 2. many
千代 : [ちよ]
 【名詞】 1. (1) thousand years 2. (2) very long period 3. forever
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

千代の山雅信 ( リダイレクト:千代の山雅信 ) : ウィキペディア日本語版
千代の山雅信[ちよのやま まさのぶ]

千代の山 雅信(ちよのやま まさのぶ、1926年6月2日 - 1977年10月29日)は、北海道松前郡福島町出身の元大相撲力士。第41代横綱。本名は杉村 昌治(すぎむら まさはる)。
== 人物 ==

=== 入門~平幕時代 ===
1926年北海道松前郡福島町で生まれる。戦前の大横綱である双葉山定次への入門を希望していたが、周囲から「双葉山に勝てる男になれ」と言われたことで1942年に出羽海部屋へ入門した。入門当初から横綱を期待されていたため、杉村が相撲部屋へただ入門しただけのことが地元紙の記事になったり、当時は食糧難の時代だったにも関わらず、出羽海の方針でただ一人、腹一杯の食事を与えられるほどの逸材だった。当時のあだ名は迫力ある立ち合いのぶつかる音から取られた「ドン」というものであった。
双葉山は1945年に引退したため杉村との対戦は叶わなかったが、新入幕の1945年11月場所には10戦全勝を記録した。これによって16尺土俵と15尺土俵の両方で全勝を記録した力士の一人となったが、もう一人の羽黒山政司も10戦全勝だったことと、当時は番付上位者優勝制度〔優勝決定戦を行わず、番付が上位のものが優勝となっていた。優勝決定戦制度は翌々場所の1947年夏場所から導入されたが、これ以降で幕内での全勝、または土付かずの力士が複数人出た例はない。〕が存在していたため優勝こそ逃したものの、恐るべき力士として印象付けられたことは間違いない〔旧・両国国技館の開館(1909年)以降、新入幕の土つかず(無敗)は1914年5月場所の両國勇治郎(前頭14枚目)、1917年5月場所の大潮又吉(前頭13枚目)以来3人目の快挙。ただし両國は9勝1休、大潮は9勝1預だったため、皆勤による全勝は千代の山が史上初となる。両國の1休については本人の項を参照。〕〔千代の山は翌場所4日目に初黒星を喫するまで新入幕から13連勝を記録したが、これは2014年現在破られていない。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「千代の山雅信」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Chiyonoyama Masanobu 」があります。




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