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伊東祐国 : ミニ英和和英辞書
伊東祐国[いとう すけくに]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
: [くに]
 【名詞】 1. country 

伊東祐国 : ウィキペディア日本語版
伊東祐国[いとう すけくに]

伊東 祐国(いとう すけくに)は、室町時代武将日向伊東氏7代(伊東氏12代)当主。
父・伊東祐堯に従って各地を転戦した。文明12年(1480年)、佐土原を知行する。同年、折生迫島津氏との合戦となり、日高周防介の軍勢に大勝した。
文明16年(1484年)、父・祐堯が島津氏の内紛に介入。島津当主島津忠昌の方針に反発し、豊後国大友氏や父に助力を請い新納忠続の守る飫肥城を攻撃し忠昌に叛旗を翻した島津久逸を援助するべく父と共に飫肥城を攻撃したが、翌文明17年(1485年)に祐堯が出陣中に清武城で急死、祐国が家督を継承する。
同年、弟・祐邑と共に新納忠続の守る飫肥城に再び侵攻した。その時に率いた軍勢は、「都於郡、佐土原、宮崎、木脇、八代、三納、穂北、富田、財部、高城、塩見、日知屋、門川、山陰、田代、神門、入下、宇納間、水清谷、銀鏡、小河、雄八重、中ノ俣、鵜戸、曾井、加江田」の兵だったとされる(これは現在の宮崎市西都市国富町高鍋町日向市美郷町西米良村などに相当する地域である。)。
祐国・祐邑は国見峠を越えてたちまち飫肥城を包囲し島津方の援軍・島津伯耆守を討ち取ったが、飫肥城の守りは堅く、自ら軍勢を率いて出陣して来た島津忠昌と楠原で交戦するも、祐国は乱戦の最中に討ち死にを遂げた。享年35。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「伊東祐国」の詳細全文を読む




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