翻訳と辞書
Words near each other
・ 亀井俊介
・ 亀井修
・ 亀井健三
・ 亀井光
・ 亀井光代
・ 亀井光政
・ 亀井六郎
・ 亀井凱夫
・ 亀井刑事
・ 亀井勇樹
亀井勝一郎
・ 亀井勝一郎賞
・ 亀井南冥
・ 亀井和恵
・ 亀井哲郎
・ 亀井商店
・ 亀井善之
・ 亀井善太郎
・ 亀井善行
・ 亀井塔生


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

亀井勝一郎 : ミニ英和和英辞書
亀井勝一郎[かめい かついちろう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かめ]
 【名詞】 1. tortoise 2. turtle 
: [い]
 【名詞】 1. well 
: [いち]
  1. (num) one 

亀井勝一郎 : ウィキペディア日本語版
亀井勝一郎[かめい かついちろう]

亀井 勝一郎(かめい かついちろう、1907年明治40年)2月6日 - 1966年昭和41年)11月14日)は、昭和期の文芸評論家日本藝術院会員。
== 来歴・人物 ==
北海道函館区(現・函館市)元町生まれ。旧制函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)から旧制山形高等学校(現・山形大学)経て、1926年大正15年)に東京帝国大学文学部美学科に入学するが、1927年(昭和2年)には「新人会」会員となりマルクスレーニンに傾倒し、翌1928年(昭和3年)には退学。
同年4月20日には治安維持法違反の疑いにより札幌で逮捕され、市ヶ谷刑務所豊多摩刑務所に投獄され、1930年(昭和5年)10月1日に転向上申書を提出し、10月7日に保釈される。その後、1933年(昭和8年)12月、懲役2年(執行猶予3年)の判決を受けた。
この間、1932年(昭和7年)にはプロレタリア作家同盟に属すが、翌年には解散。以後、同人雑誌『現実』(1934年)、『日本浪曼派』(1935年)を創刊し、評論を発表する。1934年、最初の評論集『転形期の文学』を刊行。
1937年(昭和12年)には『人間教育(ゲエテへの一つの試み)』を刊行。同年、武者小路実篤と顔を合わせる。1938年(昭和13年)、『人間教育』が評価され菊池寛より池谷賞を受ける。同年の『日本浪漫派』廃刊後は、『文学界』同人となり、以後同誌に多く連載した。この頃に、太宰治と親密になる。同じ時期に大和路紀行を行い、古代・中世の日本仏教との出会いにより開眼、聖徳太子親鸞の教義を信仰し、その人間原理に根ざした宗教論、美術論、文明・歴史論、文学論の著作の多くを連載出版した。
1942年(昭和17年)に、日本文学報国会評論部会幹事となった。1945年(昭和20年)8月、第二国民兵として3日間軍事教練を受け、その3日目に敗戦の報を聞いた。
戦前・中は、武者小路実篤の人生論を解説つきで出したが、戦後昭和30年代に再びこれを再刊し重版した。自身の人生論・恋愛論の類もベストセラーで、複数の版元で多く重版された。新版再刊も多かった。
1959年(昭和34年)より『文學界』に、ライフワークとして「日本人の精神史研究」を連載開始した。1964年(昭和39年)に、日本芸術院賞受賞、翌年には芸術院会員に選ばれた。1965年(昭和40年)『日本人の精神史研究』等で、菊池寛賞を受賞したが、翌年ガンにより亡くなった。「日本人の~」は全6巻予定だったが、5巻目の半ばで中絶した。
1969年(昭和44年)より、文藝評論を対象した文学賞として亀井勝一郎賞が設けられたが、14回で休止した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「亀井勝一郎」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.