翻訳と辞書
Words near each other
・ 世界野球連盟
・ 世界野生生物の日
・ 世界金融センター
・ 世界金融不況
・ 世界金融危機
・ 世界金融危機 (2007年-)
・ 世界鉄道の旅
・ 世界鉄道研究会議
・ 世界鉄道連合
・ 世界鉄鋼協会
世界銀行
・ 世界銀行グループ
・ 世界銀行チーフエコノミスト
・ 世界銀行奨学金
・ 世界長
・ 世界長ユニオン
・ 世界長者番付
・ 世界開発協力機構
・ 世界開発者会議
・ 世界陸上


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

世界銀行 : ミニ英和和英辞書
世界銀行[せかいぎんこう]
【名詞】 1. World Bank 
===========================
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
世界 : [せかい]
 【名詞】 1. the world 2. society 3. the universe 
世界銀行 : [せかいぎんこう]
 【名詞】 1. World Bank 
: [ぎん, しろがね]
 【名詞】 1. (1) silver 2. silver coin 3. silver paint
銀行 : [ぎんこう]
 【名詞】 1. bank 
: [くだり, ぎょう]
 【名詞】 1. (1) line 2. row 3. (2) verse 
世界銀行 : ウィキペディア日本語版
世界銀行[せかいぎんこう]

世界銀行(せかいぎんこう、)は、各国の中央政府または同政府から債務保証を受けた機関に対し融資を行う国際機関。当初は国際復興開発銀行を指したが、1960年に設立された国際開発協会とあわせて世界銀行と呼ぶ。国際通貨基金と共に、第二次世界大戦後の金融秩序制度の中心を担う。本部はアメリカ合衆国ワシントンD.C.。加盟国は184ヶ国。
== 沿革 ==
1944年7月、ブレトン・ウッズ会議において国際通貨基金とともに国際復興開発銀行の設立が決定され〔「世界地理大百科事典1 国際連合」p416 2000年2月1日初版第1刷 朝倉書店〕、国際復興開発銀行は1946年6月から業務を開始した。設立当初、国際通貨基金は国際収支の危機に際しての短期資金供給、世界銀行は第二次世界大戦後の先進国の復興と発展途上国の開発を目的として、主に社会インフラ建設など開発プロジェクトごとに長期資金の供給を行う機関とされ、両者は相互に補完しあうよう設立された。ソヴィエト連邦は決定には賛成したものの条約を批准せず、出資金を払い込まなかったために加盟できず、冷戦終結にいたるまで世界銀行の社会主義圏における活動は低調なものとなった。
このころの世界銀行の主要貸し出し国のひとつは日本であった。1952年に世界銀行に加盟した後、1953年から日本の借り入れが始まり、合計8億6,000万ドルを借り入れ、その資金は東海道新幹線などのインフラの整備に充てられた〔「日本が世界銀行からの貸し出しを受けた 31プロジェクト」 〕。やがて、1967年には経済成長によって投資適格国から卒業し、1971年には日本は5大出資国の1つとなって、1990年7月には世界銀行からの借金を全額返済することとなった〔日本国外務省 ODAとは? ODAちょっといい話 第二話 戦後の灰燼からの脱却 〕。
やがて、第二次世界大戦後の先進国復興が完了し復興資金需要がなくなるのに伴い、世界銀行は開発資金援助に特化した。また、国際通貨基金も1970年代以降為替変動相場制を採用する国が増加したのに伴い加盟国の国際収支から国内金融秩序安定へその監視助言業務の比重を次第に移した。この動きを積極的に進めたのが、1968年に第5代世界銀行総裁に就任したロバート・マクナマラである。彼は1968年の総会で融資の額を69年からの5年間で以前の5年間の倍にすると表明し〔日本国外務省 わが外交の近況 昭和44年度(第14号) 第3節 経済協力のための国際協調 〕、彼の元で世界銀行は急速に貸付を拡大し、大きな影響力を持つようになった。それまでの財源の中心であった各国の拠出金に変わり、マクナマラは世界銀行債を積極的に発行することで市場から資金を調達することに成功し、以後世界銀行の独立性は高くなった。〔「緑の帝国 世界銀行とグリーン・ネオリベラリズム」p57-61 マイケル・ゴールドマン著 山口富子監訳 京都大学学術出版会 2008年2月15日初版第1刷発行〕1980年代以降、開発途上国で債務問題がしばしば発生し、また旧社会主義諸国が次々と市場経済制度に移行するに至り、開発途上国の金融制度に関する分野ではその業務に一部重複も見られるようになった。
開発途上国の債務問題に関しては、世界銀行は1980年からIMFと共同で経済危機に陥った途上国に対し、経済支援の条件として構造調整政策の実施を行うよう求めた。これは、肥大化した公的セクターの縮小や各種補助金や公務員の給与の削減によって支出の削減を行うとともに、経済を自由化させて自由競争の下で経済を成長させようというものだった。しかし、公的部門の縮小によって失業が増大し、教育医療などの質的低下によって社会不安が増大するなどといった悪影響が大きく、特にアフリカにおいては多くの国で構造調整後も経済の沈滞は悪化する一方で、政策は必ずしも成果を挙げていない〔「図説アフリカ経済」(平野克己著、日本評論社、2002年)p22-23〕。
世界銀行の規模が大きくなるにつれ、それを補完する機関が必要となっていき、その結果、1956年には世界銀行では融資できない民間企業に融資を行う国際金融公社が設立され、ついで1960年には世界銀行からの借り入れもできない貧しい発展途上国向け融資を目的とした国際開発協会ができ、さらに発展途上国と外国投資家との紛争を仲裁する国際投資紛争解決センターが1966年に、最後に途上国への投資に対し保証を与え、さらにサービスや助言をも与える多国間投資保証機関が1988年に設立されて、現在の世界銀行グループが形成された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「世界銀行」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.