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下地幹郎 : ミニ英和和英辞書
下地幹郎[しもじ みきお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
下地 : [したじ]
 【名詞】 1. groundwork 2. foundation 3. inclination 4. aptitude 5. elementary knowledge of 6. grounding in 7. prearrangement 8. spadework 9. signs 10. symptoms 1 1. first coat of plastering 12. soy 1
: [ち]
  1. (n,n-suf) earth 
: [みき]
 【名詞】 1. (tree) trunk 2. (arrow) shaft 3. (tool) handle 4. backbone 5. base 

下地幹郎 : ウィキペディア日本語版
下地幹郎[しもじ みきお]

下地 幹郎(しもじ みきお、1961年8月14日 - )は、日本政治家おおさか維新の会所属の衆議院議員(5期)。おおさか維新の会国会議員団政務調査会長
内閣府特命担当大臣(防災)郵政民営化担当大臣野田第3次改造内閣)、国民新党代表代行・幹事長(第3代)・国会対策委員長(第3代)・政務調査会長(第3代)、政党そうぞう代表、経済産業大臣政務官第1次小泉内閣)等を歴任。
== 来歴 ==

沖縄県平良市(現宮古島市)生まれ。沖縄県立宮古高等学校中央学院大学商学部商学科卒業。大学卒業後、父が創業した大米建設に勤務する。
1996年第41回衆議院議員総選挙自由民主党公認で沖縄1区から出馬し、選挙区では新進党(旧公明党系)の白保台一日本共産党古堅実吉の後塵を拝したが、重複立候補していた比例九州ブロックで復活し、初当選した。当選後、平成研究会に入会。小渕内閣沖縄開発政務次官に任命され、小渕第1次改造内閣まで務める。
2000年第42回衆議院議員総選挙では、自公の選挙協力により党総務局長の鈴木から比例単独での出馬を求められ、比例九州ブロックから出馬し再選。沖縄1区では、公明党から出馬した白保が当選した。2002年第1次小泉内閣経済産業大臣政務官に任命される。2003年第43回衆議院議員総選挙では自公間の選挙協力が不調に終わり、自民党に党籍を残したまま沖縄1区から無所属で出馬したが、自民党・保守新党が推薦する公明党の白保に敗れ、落選。その後普天間飛行場の移設をめぐり、自民党が推し進める名護市辺野古への移設に反対して嘉手納飛行場への統合案を提唱したため、考え方の相違により自民党を離党する。2005年第44回衆議院議員総選挙では民主党の推薦を受け、沖縄1区から無所属で出馬。公明党の白保を破り5年ぶりに国政に復帰した。同年12月、政党そうぞうを設立し、代表に就任。
2007年5月、衆議院院内会派「国民新党・無所属の会」に入会。下地の入会により、会派の名称が「国民新党・そうぞう・無所属の会」に改められた。翌2008年8月、そうぞう代表を沖縄県議会議員の當間盛夫に譲り、顧問に就任。9月にそうぞうを離党し、国民新党に入党。党政策審議会長代行に就任した。2009年9月、政策審議会長であった自見庄三郎の党幹事長就任に伴い、政策審議会長(後に政務調査会長に改称)に就任。また糸川正晃の離党(民主党入党)に伴い、国会対策委員長も兼務する。2010年2月、同年7月の第22回参議院議員通常選挙に向け党選挙対策本部長に就任し、政調会長を辞任した(後任は森田高参議院議員)。2010年6月、自見幹事長の菅内閣への入閣に伴い、後任の国民新党幹事長に就任。
2012年、国民新党代表の亀井静香消費税増税関連法案の閣議決定に反対して連立政権から離脱を表明したが、野田内閣の一員であった自見庄三郎や下地ら6人は連立離脱に反対。亀井静香、亀井亜紀子政調会長を除く党所属議員6人で議員総会を開き、亀井静香、亀井亜紀子を党役職から解任〔亀井代表を解任 国民新党議員総会 今後は下地氏ら6人で与党活動 産経ニュース 2012年4月5日〕。党幹事長であった下地が民主党幹事長輿石東に対し、国民新党が引き続き与党に残留する意向を表明した。2012年4月、国民新党代表代行も兼務する。同年8月11日沖縄県那覇市記者会見を開き、政党そうぞう代表への就任を発表した。一方、次期衆議院議員総選挙には引き続き国民新党公認で立候補する考えを表明〔
〕。同年10月1日、野田第3次改造内閣内閣府特命担当大臣(防災)及び郵政民営化担当大臣に任命され、国民新党幹事長のまま初入閣した。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、沖縄1区で自民党新人の國場幸之助に敗れ、比例復活もならず落選した。2013年2月22日、自民党復党を模索する自見庄三郎代表の方針に反対し、国民新党を離党〔
〕。
2014年6月28日、那覇市内のホテルで支持者2千人を集めた会合を開き、同年11月の沖縄県知事選挙への出馬を検討していることが報じられた〔
〕。
同年7月25日、政党そうぞうの拡大役員会で代表を辞任、離党したうえで無所属で沖縄県知事選挙へ出馬する方針を表明、受理され、31日正式に出馬発表を行った。そうぞうの党運営については、当面の間代表代行の當間盛夫が代表を務める〔
〕。投開票の結果、得票数3位で落選した。
2014年12月14日に行われる第47回衆議院議員総選挙では、政党そうぞうや維新の党沖縄県総支部から出馬要請を受け、維新の党公認で沖縄1区から出馬

第47回衆議院議員総選挙第2次公認候補予定者発表のお知らせ | ニュース|活動情報|維新の党 〕。赤嶺、國場の後塵を拝したが、比例九州ブロックで復活した。なお、同選挙で沖縄県内の4つの小選挙区で立候補した候補者は9人全員が当選した。
2015年の維新の党の分裂騒動では大阪側議員に同調し、維新の党を離党し新党おおさか維新の会を結成。下地は国会議員団政調会長に就任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「下地幹郎」の詳細全文を読む




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