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上杉慎吉 : ミニ英和和英辞書
上杉慎吉[うえすぎ しんきち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
: [すぎ]
 【名詞】 1. Japanese cedar 2. cryptomeria japonica 

上杉慎吉 : ウィキペディア日本語版
上杉慎吉[うえすぎ しんきち]

上杉 慎吉(うえすぎ しんきち、1878年明治11年)8月18日 - 1929年昭和4年)4月7日)は、明治後期から昭和初期にかけての日本憲法学者天皇主権説を主張する君権学派(神権学派)であり、天皇機関説と激しい論争を展開した。
== 人物 ==
上杉寛二は元大聖寺藩(現、石川県加賀市藩医
旧制四高補充科予科、旧制四高〔『近現代人履歴事典』 秦郁彦 より。〕を経て、1898年東京帝国大学法学部に進学、憲法学教授で天皇主権主義の穂積八束に師事して憲法を学んだ。1903年東京帝国大学法学部政治学科卒業(恩賜の銀時計を授与される)、同年には同大学助教授に就任した。1905年には師匠の穂積説を批判するようになったが、1906年からの「西遊研学」で穂積説の後継者を自任するようになった。陸軍大学校海軍大学校の教授も務め、皇族にも進講し、同僚の筧克彦は「勅奏任の行政官にして教授の憲法学説に親まざる者殆んど悉無といふべし」と評している〔立花隆著『天皇と東大 上』430頁〕〔『上杉先生を憶ふ』、七生社、1930年〕。
1910年代に入ると「天皇即国家」〔上杉慎吉『帝国憲法講義 : 国民教育』147頁〕「神とすべきは唯一天皇」「天皇は絶対無限」「現人神」〔上杉慎吉『皇道概説』国家学会雑誌27巻1号71-2頁56-7頁, 1913年〕とする立場から同じく東京帝国大学の美濃部達吉が打ち出した天皇機関説を批判するようになる(天皇機関説論争)。陸軍のボスである山縣有朋と接触し〔平沼騏一郎『平沼 騏一郎回顧録』p34〕、1913年には上杉を発起人兼幹事に大島健一江木千之杉浦重剛、筧克彦〔立花隆著『天皇と東大 上』432頁〕と桐花学会を創設〔吉田博司『近代日本の政治精神』芦書房、1993年〕。1916年には吉野作造民本主義を批判する一方、後に「資本論の会」や葬儀に参加するほど高畠素之と親しくなって高畠一派と経綸学盟を設立するなど国家社会主義運動を進め、1926年には建国会の会長に就任(顧問は平沼騏一郎頭山満荒木貞夫、理事長は赤尾敏、書記長は高畠門下の津久井竜雄)。1920年森戸辰男の発表した論文「クロポトキンの社会思想の研究」を「学術の研究に非ず、純然たる無政府主義の宣伝」〔立花隆著『天皇と東大 上』429頁〕と排撃した(森戸事件)。甘粕事件甘粕正彦の擁護から軍部の石光真臣福田雅太郎とも結びついて山縣有朋と親交を深めた〔立花隆著『天皇と東大 上』437~442頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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