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三ツ矢サイダー : ミニ英和和英辞書
三ツ矢サイダー[みつやさいだー]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
: [や]
 【名詞】 1. arrow 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

三ツ矢サイダー : ウィキペディア日本語版
三ツ矢サイダー[みつやさいだー]

三ツ矢サイダー(みつやサイダー)は、アサヒ飲料が発売している炭酸飲料サイダー)。同社の登録商標(日本第850875号ほか)でもある。
==歴史==
三ツ矢サイダーの起源は、明治時代宮内省が兵庫県多田村平野(現在の川西市平野3-23-1)の平野鉱泉を用いて炭酸水の御料工場〔後の三ツ矢記念館(閉館)。三ツ矢サイダー発祥の地であるこの工場では、1954年に三ツ矢サイダーの生産を終了。〕を建てたことから始まった。その後、工場は三菱に払い下げられ、明治屋が権利を得て、1884年に「」として販売した。平野水は夏目漱石の『行人』、『思い出す事など』にも登場し、また、1897年には皇太子時代の大正天皇の御料品に採用された。この平野水をベースに、1907年に「帝国鉱泉株式会社」(経営者・平賀敏)が設立され、砂糖を煮詰めたカラメルやイギリスから輸入したサイダーフレーバーを加えた「三ツ矢印 平野シャンペンサイダー」が発売された〔1905年に発売されたという説もある。〕。1909年に「三ツ矢シャンペンサイダー」に改称した。
帝国鉱泉株式会社は、1922年、加富登麦酒、日本製壜と合併して「日本麦酒鉱泉株式会社」(ユニオンビール。根津嘉一郎経営)となり〔秋山久美子, 2005. 清涼飲料水(ラムネ・サイダー)の近代史. 学苑・近代文化研究所紀要, 778: 29-42.〕、さらに1933年、大日本麦酒株式会社(アサヒビール・サッポロビール・ヱビスビールを製造販売。三井財閥系)に合併されたが、三ツ矢サイダーはユニオンビールと共に引き続き製造販売された。
1949年、大日本麦酒株式会社はGHQが指示した過度経済力集中排除法による会社分割により朝日麦酒株式会社(現在のアサヒグループホールディングス株式会社)と日本麦酒株式会社(現在のサッポロホールディングス株式会社)に分割。三ツ矢サイダーはユニオンビールと共に朝日麦酒が継承し、戦前までの「アサヒビール・リボンシトロン」の組み合わせから、お馴染みの「アサヒビール・三ツ矢サイダー」の組み合わせに代わった。
1952年に人工甘味料から砂糖に切り替えて「全糖三ツ矢シャンペンサイダー」へ改称したが、「シャンパン」の名称はシャンパーニュ地方で生産された物以外には使えないということになり、1968年に「三ツ矢サイダー」へ改称した。1970年には200mlの入り瓶を発売、1971年には透明炭酸飲料では業界初の缶入りを発売、1972年には紙ラベルの商品を廃止、1973年には姉妹品として三ツ矢フルーツソーダ〔1980年代後期には、「三ツ矢フルーツサイダー」として発売された。〕を発売。
この頃の容器はビールビンを細くしたような形をしており、水色のビンに紙ラベルが貼られていた。この時代の瓶は使用後に地方の中小企業に流れ、現在でも使われている。後に、紡錘を細長くしたような形状に変わり、ラベルの代わりに水色の文字、マークが印刷された。
1984年の発売100周年を機に、缶やペットボトル〔1985年発売。〕に書かれている「」が現在の書体となり、同時に文字の色も青に変更され、以降、何度かパッケージの変更はあったものの、現在に至っている。1995年までは「」ロゴは側面部分に「 」と表示していたが、1996年のアサヒ飲料発足を機に、「」ロゴの上に「」ロゴが表示された。
1988年、製造部門が分社化されてアサヒビール飲料製造株式会社となり、1996年に販売会社のアサヒビール飲料株式会社と合併し、アサヒ飲料株式会社となる。
2004年、香料を天然原料のものに、水を天然水100%に変え、よりすっきりした味に仕上げた。これがヒットとなり、業績不振から一転、V字回復を達成した。また、近年流行の兆しを見せる微炭酸へ移行することもなくキリンレモンと並び強炭酸の姿勢を守り抜くなどして、根強いファンを持つ。
2009年5月26日には、「カロリーゼロ、糖質ゼロ、保存料ゼロ」の「三ツ矢サイダー オールゼロ」を全国で発売開始。カロリーゼロ、糖質ゼロの商品の発売は、同ブランド126年の歴史の中で初めてとなる〔1984年から1993年頃まで発売していた「三ツ矢ライトサイダー」は、100mlあたり1kcal程度だった。〕。同商品はアルミ缶商品(250ml、300ml)、ペットボトル(500ml、1,500ml)の2タイプ計4種類で展開。2015年3月24日のリニューアルで『三ツ矢サイダー ゼロ』に改名し、2016年3月22日のリニューアルで『三ツ矢サイダー ゼロストロング』に再改名した。
なお、平野にあった工場は後に閉鎖され、アサヒビール系列のホームセンター・サンシャイン平野店になったが、2005年3月に閉店した。1912年に建設された大正天皇御料品製造所はこのホームセンターの奥に現存し、三ツ矢資料館になっている。資料館はサンシャインの閉店により、公開が中断された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「三ツ矢サイダー」の詳細全文を読む




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