翻訳と辞書
Words near each other
・ レオンテウス
・ レオンディンク
・ レオンディング
・ レオントポディウム
・ レオントポディウム属
・ レオンナトス
・ レオンハルト・オイラー
・ レオンハルト・カウピッシュ
・ レオンハルト・フックス
・ レオンハルト・フランク
レオンハルト・ラウヴォルフ
・ レオンハルト・レヒナー
・ レオンハート・フックス
・ レオンフォルテ
・ レオンベルガー
・ レオン・N・クーパー
・ レオン・S・ケネディ
・ レオン・アストゥリアス語
・ レオン・アンドレアセン
・ レオン・イェッセル


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

レオンハルト・ラウヴォルフ : ミニ英和和英辞書
レオンハルト・ラウヴォルフ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


レオンハルト・ラウヴォルフ : ウィキペディア日本語版
レオンハルト・ラウヴォルフ

レオンハルト・ラウヴォルフ(Leonhard Rauwolf または Leonhart Rauwolff、1535年6月15日 - 1596年9月15日)は、ドイツ医師植物学者である。1573年から1575年の間、レバントメソポタミアなどの近東を薬用植物の採集のために旅し、記録を執筆した。
==生涯==
初めヴィッテンベルク大学で学び、その後、南フランスのモンペリエ大学、ヴァランス大学で、ギヨーム・ロンドレに学び、有名な植物学者、カロルス・クルシウスを訪れた。1565年に故郷のアウクスブルクで医師を開業し、結婚した。薬草園を経営し、レバノンから薬草を輸入していた義理の兄、マンリッヒ(Melchior Manlich)の要望で、新しい植物や薬を探すために中東への旅することになった。フランスマルセイユを1573年に出発し、レバノンのトリポリに向かった。トリポリからアレッポに向かい、しばらく留まった後、1574年にバグダードモースルを訪れ、1575年にエルサレム、アレッポ、トリポリを経て1576年にアウクスブルクに戻った。近世のヨーロッパの植物学者としては初めて、シリアとメソポタニアを訪れた人物となった。帰国した後、本草書"Viertes Kreutterbuech -- darein vil schoene und frembde Kreutter"を執筆した。
植物学の調査の他に、現地の人々や習慣やレバントの風景に関する感想を記録し1582年にドイツ語で"Aigentliche Beschreibung der Raiß inn die Morgenländerin"を執筆し、これは1693年に英語訳され、"Dr. Leonhart Rauwolf's Travels into the Eastern Countries" としてジョン・レイが編集した旅行記のコレクションの一冊として出版された。オランダ語にも訳された。ラウヴォルフはヨーロッパで初めてコーヒーを飲む習慣について記述し、「まるでインクのように黒いChaubeという飲み物が、特に胃の病気に有効であり、早朝、できるだけ熱くして陶器のコップからすばやくすすられる」と紹介した。またトリポリの人々の食生活についても紹介した。
1588年にアウクスブルクの指導者たちがカトリックに改宗したが、ラウヴォルフはプロテスタントにとどまり、リンツに移り市の医師として8年間働いた。1596年にハンガリーオスマン帝国との戦いに参加した軍に加わり、Waitzenで没した。
キョウチクトウ科の属名、インドジャボク属 ''Rauvolfia''などに献名されている。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「レオンハルト・ラウヴォルフ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.