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リンドン・B・ジョンソン : ミニ英和和英辞書
リンドン・B・ジョンソン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


リンドン・B・ジョンソン ( リダイレクト:リンドン・ジョンソン ) : ウィキペディア日本語版
リンドン・ジョンソン

リンドン・ベインズ・ジョンソン(、1908年8月27日 - 1973年1月22日)は、アメリカ合衆国政治家下院議員、上院議員、第37代副大統領、第36代大統領を歴任した。民主党ケネディ政権の副大統領を務め、ケネディ大統領が暗殺されると大統領に昇格、政権を引き継いだ。リベラルとして知られたケネディに対して、南部テキサス州出身のジョンソンは民主党の中では保守派と評されていたが、大統領就任にあたって掲げた貧困撲滅と公民権の確立を骨子とする「偉大な社会 」政策は、非常にリベラル色の強いものであった。
政権初期には、公民権法の早期成立に向けて議会をまとめることに努め、議会との関係が円滑でなかったケネディに比べて巧みな議会工作で法案を可決させた〔「現代アメリカ政治~60-80年代への変動過程~」90~91P 砂田一郎著 1981年11月発行〕。その他にも内政においては達成した政治課題が多く、ジョンソン政権は同じ民主党のルーズベルト政権と並んで「大きな政府」による社会福祉や教育制度改革、人権擁護を積極的に推進した政権となった。しかし外交では、ケネディ政権から引き継いだベトナム戦争への軍事介入を拡大させ、国内に激しい反戦運動と世論の分裂をもたらした。
現職として臨んだ1964年の大統領選では、ケネディへの同情票と昇格後1年間の政権の成果を評価する票で共和党候補を大差で破り、歴史的な大勝を果たした。しかし大統領選挙当選後、ベトナム戦争の泥沼にはまって身動きが取れなくなり、次の1968年の大統領選では再選どころか民主党大統領候補の指名を受けることが難しい状況に追い込まれ、1968年3月31日、全米に向けた大統領声明でそれまでのベトナム政策の劇的な転換を発表すると同時に大統領選再出馬をしないことを表明、自らの政治生命に幕を引いた。
== 生い立ち ==
リンドン・ベインズ・ジョンソンは、1908年8月27日にテキサス州中央部のテキサス・ヒル・カントリーと呼ばれる地域にある農村、ストーンウォールで生まれた。彼の両親サミュエル・ジョンソンとリベカ・ベインズは、貧しい地域で農場を所有しており、彼らには更に4人の子供がいた。妹のリベカ、兄弟のジョセファ、サム・ヒューストン、ルシア。リンドン・ジョンソンは幼年期を通じて公立学校に通い、1924年にジョンソンシティー高校を卒業した。
1927年には、南西テキサス州教員養成大学(現:テキサス州立大学サンマルコス校)に入学した。校内活動や学校新聞の作成に参加し、苦労しながらも1931年に卒業した。なお在学中に1年休学し、テキサス州の貧しいメキシコ系移民の生徒が通う学校で教師見習いを務めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リンドン・ジョンソン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lyndon B. Johnson 」があります。




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