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リチャード・トレビシック : ミニ英和和英辞書
リチャード・トレビシック[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

リチャード・トレビシック : ウィキペディア日本語版
リチャード・トレビシック[ちょうおん]

リチャード・トレビシックRichard Trevithick1771年4月13日 - 1833年4月22日)はイギリスの機械技術者で、蒸気機関車の発明者〔Francis Trevithick, Life of Richard Trevithick,1872.〕。一般にはジョージ・スチーブンソンが発明者と思われているが、後述するようにトレビシックが実際の発明者である。コーンウォールの鉱山町出身で、若いころから鉱山と技術に熱中。鉱山の親方の息子で、学校での成績はよくなかったが、鉄道の歴史に先駆者として名を刻んだ。最大の貢献は世界初の高圧蒸気機関を開発したことで、さらに人間が乗れる大きさの世界初の蒸気機関車を開発した。初の軌道上を走る蒸気機関車を製作し、1804年2月21日、ウェールズマーサー・ティドビルにあるで初走行させた。
その後海外に関心を向け、ペルーで鉱山のコンサルタントを務め、コスタリカの一部を探検。浮き沈みの激しい人生で、破産したこともあり、同時代の鉱山技師や蒸気機関技師との対抗関係に苦しんだ。全盛期には鉱山技師として尊敬され有名になったが、晩年は不遇だった。今日では、鉱業界、工学界、鉄道業界でその功績がよく知られている。
== 生い立ち ==
イングランドの南西部コーンウォールでも特に鉱物資源が豊富な地域、カムボーン(en)とレッドルース(en)の間の Tregajorran(イローガン教区(:en:Illogan)内)で生まれる。6人兄弟の末っ子だが、男子は彼1人だけである。当時としては188センチと背が高く、勉強よりもスポーツが得意な子だった。カムボーンの小さな学校に通わされたが、勉強には身が入らず、ある教師は彼について「反抗的で頑固で甘やかされた少年で、頻繁に休み、非常に注意散漫」と記している。算数には才能を発揮したが、普通の手段で答えに到達することはなかった。
父は鉱山の監督リチャード・トレビシック(1735年 – 1797年)で、母アン・ティーグ(1810年没)は鉱夫の娘だった。幼いころからコーンウォールのスズ鉱山で、深い坑道から水を汲み上げる蒸気機関を見ている。一時期ウィリアム・マードックが近所に住んでいたことがあり、その蒸気車の実験に影響を受けた〔Griffiths, John C. (2004) 'Murdock, William (1754–1839)', Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, Sept 2004; online edn, Oct 2007 accessed 18 Jan 2009 〕。
19歳のとき鉱山で働き始める。熱心に働いたため、すぐさま若者としては珍しいコンサルタント的地位を確立した。鉱夫たちは彼の父を尊敬していたため、トレビシックも人気者となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リチャード・トレビシック」の詳細全文を読む




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