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ラオス内戦 : ミニ英和和英辞書
ラオス内戦[らおすないせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うち]
 【名詞】 1. inside 
内戦 : [ないせん]
 【名詞】 1. civil war 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

ラオス内戦 : ウィキペディア日本語版
ラオス内戦[らおすないせん]
ラオス内戦(英:Laotian Civil War、1953年 - 1975年)とは、左派パテート・ラーオラオス王国政府による内戦である。左翼右翼による政治闘争を越え、冷戦中の大国からの支援を受けた代理戦争に発展した。
== 概要 ==
ラオスベトナム戦争の交戦国にとって隠れた戦場となっていた。1953年のフランス・ラオス条約により、ラオスには完全な独立が与えられたが、それから数十年の歴史は、ルアンパバーン王家スワンナ・プーマおよびコン・レー大尉らの中立派、チャンパーサック王家ブン・ウムおよび軍事クーデターを起こしたプーミ・ノサワン将軍らの右派・革命委員会、ルアンパバーン王家のスパーヌウォンおよび後の首相カイソーンらの左派ネーオ・ラーオ・ハクサート(ラオス愛国戦線)の三派間の争いによって記録された。連合政府を立てようという幾度にもわたる試みの後、最終的にヴィエンチャンにおいて「三派連合政府」が成立した。
ラオスにおける戦闘には、ラオス区域の支配権を巡って争う北ベトナムアメリカタイおよび南ベトナムフランスの軍隊が直接的に、あるいは非正規の代理人を通して関与していた。北ベトナム軍は、南ベトナム侵攻の通り道かつ最大の戦場となるホーチミン・ルートを占領した。二番目に大きな戦闘が起こった場所は、ラオス北部のジャール平原およびその周辺であった。
1975年には北ベトナムとパテート・ラーオの勝利が明らかとなるが、それは同年のインドシナ半島における共産勢力の勝利が背景にあった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラオス内戦」の詳細全文を読む




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