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マリー・タリオーニ : ミニ英和和英辞書
マリー・タリオーニ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マリー・タリオーニ : ウィキペディア日本語版
マリー・タリオーニ[ちょうおん]

マリー・タリオーニMarie Taglioni, 1804年4月23日 - 1884年4月22日)は、ロマンティック・バレエ時代を代表するスウェーデンイタリアバレエダンサーである。父はバレエダンサーで、ロマンティック・バレエを先導した振付家であるフィリッポ・タリオーニ(Filippo Taglioni, 1777年 - 1871年)。母は、スウェーデンオペラ歌手クリストファー・カルステン(:en:Christoffer Christian Karsten)の娘ソフィー(:en:Sophie Karsten)。
== プロフィール ==
ストックホルムで生まれる。タリオーニ家はダンスの名門で、親戚に名の知られたバレエダンサーが多かった〔父方の祖父カルロ(Carlo)、叔父サルヴァトーレ(Salvatore、1789年 - 1868年)、弟のポール(Paul、1808年 - 1884年)、従妹のルイゼ(Louisa、1823年 - 1893年、サルヴァトーレの娘)、姪で彼女と同名のマリー(1833年 - 1891年、ポールの娘)などが舞踊史に名を留めている。〕。
幼い頃からバレエを学び、17歳からは父の厳しい訓練によって高度なテクニックを習得し、1822年ウィーンで初舞台を踏んだ。以来、ドイツ、イタリアなどで踊る。
1827年パリ・オペラ座で初舞台。1832年、オペラ座で父の振付による「ラ・シルフィード(空気の精)」の主役を演じて大成功を収め、その名を不朽のものとした。この作品において初めて、チュチュが用いられたこと、ポワント(つま先)で立ったことが記録されている。「ラ・シルフィード」は彼女の別称ともなり、空中を舞うように踊り、精霊や妖精のような異界の役柄を得意とするダンサーであった。
1836年、父の振付で「ドナウの娘」の主役を初演したのち、パリを離れる。1837年から5年間はロシアサンクトペテルブルクで踊って成功した。ヨーロッパ各地で踊り、絶賛される。1847年に引退し、ヴェネツィア近郊に住んだ〔カナル・グランデに面する有名な建築物「カ・ドーロ」は、一時期マリーが所有していた。〕。
晩年、経済的な行き詰まりから、ロンドンへ移って、1871年から1880年までバレエ教師として生計をたてた〔この事態は、父フィリッポが彼女の資産を蕩尽してしまったために起こった。〕。1880年からはマルセイユの息子のもとに身を寄せ、同地で没する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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