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ポイント・バロー : ミニ英和和英辞書
ポイント・バロー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ポイント・バロー : ウィキペディア日本語版
ポイント・バロー[ちょうおん]

ポイント・バロー、ないし、バロー岬(バローみさき、Point Barrow)、あるいは、ヌヴク (Nuvuk) は、アメリカ合衆国アラスカ州北極海岸に位置する岬で、バローの集落から北東へおよそ9マイル(およそ14km)にある。当地はアメリカ合衆国最北端の地である()。北極点までの距離は1122海里(1,291マイル、2,078 km)である。ちなみに、カナダ領の北アメリカ大陸の最北端は、さらにおよそ40マイル(およそ64km)北に位置するマーチソン・プロモントリー (Murchison Promontory) である。
ポイント・バローは、重要なランドマークでもあり、北極海において、西側のチュクチ海と東側のボーフォート海の境界となっており、これより北側は(北極点まで境界の目標となるものはなく)地図の縁で区切られるばかりである。
考古学的な証拠によれば、ポイント・バローには、先住民イヌピアトの先祖にあたる人々が、ヨーロッパ人の到着よりも千年ほど前から住んでいたとされる。岬は重要な考古学調査の現場となっており、ウルボーラなど、トゥーリー文化 (Thule culture) と結びつけられる埋葬地の跡や遺物が発見されている。岬の沖合の海域は、ホッキョククジラの回遊ルートの一部となっており、当地に集落が形成されたのは、鯨漁をやり易くするためであったものと推測されている〔BBC NEWS - Bodies point to Alaska's past 〕。近傍のバーナーク・サイト (Birnirk Site) には1912年に当地で発掘調査を行ったヴィルヤルマー・ステファンソン (Vilhjalmur Stefansson) によって確認された墳丘墓があり、初期のバーナーク文化 (Birnirk culture) と結びつけられている〔Archaeology of Prehistoric Native America By Guy E. Gibbon, Kenneth M. Ames 〕。
この岬の名付けは、1826年イングランドの探検家フレデリック・ウィリアム・ビーチー (Frederick William Beechey) が行なったもので、由来となったのは、政治家で、イギリス海軍本部所属の地理学者であったサージョン・バロー (Sir John Barrow) であった。岬周辺の海は、(現在では)通常は年に2-3ヵ月の着氷しない時期があるが、初期の探検家たちの時代にはそういうことはなかった。ビーチーは船では当地へ到達できず、本船からボートを出して先へ進んだ。1826年にはジョン・フランクリンが東側から当地へ到達しようと試みたが、行手を氷に阻まれた。1837年には、東側から進んだトマス・シンプソンが、ボートの前進が氷に阻まれた地点から、徒歩でおよそ50マイル(およそ80km)を西へ進に、ポイント・バローに到達した。1849年にはウィリアム・プレン (William Pullen) が2隻の捕鯨船で岬にたどり着いたが、これは、氷のためにその手前でより大きな2隻の船を西へ帰した上でのことであった。
ウィルキンス=デトロイト北極遠征隊 (Wilkins-Detroit Arctic Expedition) をはじめ、北極点をめざす北極探検家の多くが、ポイント・バローを出発点に選び、1928年4月15日にはカール・イールソンヒューバート・ウィルキンス (Hubert Wilkins) が、ポイント・バローを発って北極海を横断し、スピッツベルゲン島までの飛行に成功した。
1935年8月15日に飛行機墜落事故で、操縦士ウィリー・ポストと、乗客の芸人ウィル・ロジャースが事故死した場所であるロジャース・ポスト・サイト (Rogers-Post Site) は、この岬の近くである。
1965年から1972年まで、当地は、観測ロケットナイキ・ケイジャン」と「ナイキ・アパッチ」の発射地として使用された。また、全球大気監視計画の待機観測局が置かれている。
「ポント・バローの鯨 (''Point Barrow whales'')」と称されるのは、1988年にポイント・バローで、氷に閉じ込められてしまい、全米から注目を集めた鯨たちである。

== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ポイント・バロー」の詳細全文を読む




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