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ホツマツタヱ : ミニ英和和英辞書
ホツマツタヱ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ホツマツタヱ : ウィキペディア日本語版
ホツマツタヱ
ホツマツタヱ』は、ヲシテ(日本固有文字、従来には神代文字のひとつとされる)を使い五七調の長歌体で記され、全40アヤ(章)、10700行余、で構成された日本の古典。その成立時期は、記紀との内容比較から『古事記』『日本書紀』よりも古いと主張する研究家もいる。 否定的な立場からしても、少なくとも江戸時代中期まで遡る。『春日山紀』(安永8年、1779)が出版されているため〔。『春日山紀』は、江戸時代当時の木版活版での印刷出版物である。岩波書店版『国書総目録』に記載あり。「日本固有文字」のヲシテ文字に付いての現代表現は松本善之助の命名。根拠は、「月刊ホツマ」 にて、公にされている。
== 概要 ==
 『ホツマツタヱ』(ほつまつたゑ)は、ヲシテによって五七調長歌体で記され、全40アヤ(章)で構成された古典である。その成立時期は不詳であるが、少なくとも江戸時代中期にまで遡ることが可能である〔1780年(安永9年)。溥泉(ふせん)『春日山紀』・序文「是れ時、安永庚子歳二月吉日」龍谷大学・大宮図書館蔵。 『ホツマツタヱ』自体の成立時期については、自序などからは、1~28アヤはクシミカタマの最終編纂(アスス50年)。29アヤ~40アヤはオオタタネコの最終編纂(アスス843年)。 ヲシテ文献の記述の終わってからの後の記年が記紀ともに不確かなために、詳細は不詳となる。〕。安永8年版と安永9年版の二種類の版本が『春日山紀』にある。『春日山紀』には、『ホツマツタヱ』の40アヤの各所からの引用文がヲシテ文字の原文で縦横に掲載されている。歴史学日本語学等の学界においては、戦前から清原貞雄らにより後世の偽書であるとされ、近年も日本史学の分野では武光誠、日本語学の分野では飯間浩明らにより江戸時代神道家によって作成された偽書であるとされている。だが、それら否定派の人々は『ホツマツタヱ』の原文を精査しているわけではなかった。また、ヲシテ神代文字のひとつとみなす研究家からは古史古伝のひとつと同一視されている。しかし、漢字が渡来する以前に日本で通用していた文字と文献であって、後世の偽造とされる神代文字古史古伝とは全く異なるとの主張もある。
 文献全体の包括的な史料批判は、池田満によって『定本ホツマツタヱ』(展望社)が上梓されて、『古事記』『日本書紀』との原文の内容比較がなされている。この出版によって古典として呼ぶにもふさわしいと、言う研究家も多い。記紀との厳密な原文での比較に耐え得るのは、もともとが、由来の正しい著作物であると判断されるからである。また、『日本書紀』『古事記』との、内容比較においてどう判断してゆくかは、『ホツマツタヱを読み解く』(池田満、展望社)によって公表されている。また、『ホツマツタヱ』などの内容についての総合的な解説は『ホツマ辞典』(池田満、展望社)によって、年表や、系図も付録されて詳しく公表されている。
 『ホツマツタヱ』には、複数の写本が現存している。いくつかの写本では「ホツマツタへ」「ホツマツタエ」とも、また漢訳されて「秀真伝」「秀真政伝紀」とも表記されている。『ホツマ』と略されて呼称されることもある。『ホツマツタヱ』と同様の文字による古文書である『ミカサフミ』(「三笠紀」)『フトマニ』(「太占」)も発見されている。この3書に使われている文字は同一で、文書の中では「ヲシテ」と呼ばれている。「ヲシテ」は、過去の神代文字研究、または同文献の研究経緯により「ホツマ文字」「秀真文字」「伊予文字」と呼ばれたり、「オシテ」、「オシデ」と表記される場合もある。しかし、ヲシテ文献の原文には、清音表記「ヲシテ」の用例が大部分を占めているため、濁音の「ヲシデ」の表記には疑問を呈せられることも多い。
 12世紀初頭に成立した『類聚名義抄』などにヲシテに関する記述が認められると理解して、ホツマツタヱは少なくとも平安時代以前に遡るとし、真書であると考える熱心な研究家も少なからずいる。池田満の基礎研究書籍の『定本ホツマツタヱ』『ホツマ辞典』(展望社)の刊行を境にして、真書であると考える熱心な研究家もその数を増してきた。さらに、『よみがえる日本語ヲシテ』(青木純雄、平岡憲人、明治書院)の出版を受けて、さらにその勢いは増しつつある。 古くには江戸時代には、和仁估安聡小笠原通当等が真書であると主張した。
 近代的な文献学の手法に基づいた研究が始まったのは、ホツマツタヱが再発見された1966年以降である。諸写本の微妙な文字の違いの校異の表記、『古事記』『日本書紀』と『ホツマツタヱ』の3書比較、『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『カクのフミ(フトマニなど)』の総合的な研究とその本来のあるべき姿への復権が進められつつある(参考図書を参照のこと)。
 『ホツマツタヱ』を真書であるとする研究者は、記紀よりも古い日本最古の叙事詩、歴史書であると主張している。『ホツマツタヱ』が扱っている歴史は、いわゆる天地開闢から始まって記紀神代や人皇12代景行天皇(オシロワケ)56年までである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ホツマツタヱ」の詳細全文を読む




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