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ヘンリー・スウィート : ミニ英和和英辞書
ヘンリー・スウィート[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヘンリー・スウィート : ウィキペディア日本語版
ヘンリー・スウィート[ちょうおん]
ヘンリー・スウィート(Henry Sweet, 1845年9月15日 - 1912年4月30日)は、イギリス文献学者・音声学者・文法学者。
ダニエル・ジョーンズによって後に容認発音と呼ばれることになる、ロンドンの教養人が話す英語の発音を体系的に記述した。また現代英語の文法についてはじめて包括的な記述を行った。
== 生涯 ==
ロンドンに生まれ、1864年にドイツハイデルベルク大学に短期間在学し、このときにドイツの言語学についての知識を得た。1869年、24歳でオックスフォード大学ベリオール・カレッジに入り直し、1873年に卒業した。在学中の1871年に、グリゴリウス1世の ''Cura Pastoralis'' のアルフレッド大王による翻訳を注釈つきで発表し、古英語の方言に関する学問の基礎を築いた。文献学会に対する貢献は大きく、1875年 - 1876年と1877年 - 1878年には文献学会の会長をつとめた。
音声学に関する主著は1877年の『音声学提要』(''A Handbook of Phonetics'') で、この著作で生理的音声学の基礎を築いた。彼は英語の綴り字改革論者であるアレクサンダー・ジョン・エリスと、視話法で有名なアレクサンダー・メルヴィル・ベルの両方の影響を受けていたが、この本ではエリスの palaeotype を改良したローミック (Romic) という記号を用いた。彼は音声表記の方法に簡略表記 (Broad Romic) と精密表記 (Narrow Romic) の区別を認め、簡略表記の方が重要であるとした。簡略表記の考えは後の音韻論の先駆とも言えるものだった。母音について、スウィートは舌の高さと舌の前後を組み合わせた3×3の格子をつくり、これを基本母音 (cardinal vowels) と呼んだが、後のダニエル・ジョーンズの基本母音に比べるとかなり煩雑なものだった。
国際音声学会の前身であるポール・パシーの Phonetic Teachers' Association の初期からの会員であり、のちに名誉会長になった。国際音声記号はスウィートのローミックを元にしているが、スウィート自身は国際音声記号に特殊記号が多すぎるのが問題だと考えていた〔Collins & Mees (1998) p.49〕。
いっぽうベルの視話法の文字をスウィートはオーガニック (Organic) と呼び、いくつかの論文や1890年の ''A Primer of Phonetics'' に用いた。
1885年に書いたドイツ人向けの英語教科書 ''Elementarbuch des gesprochenen Englisch'' は、初めてロンドンの教養人の口語を記述したものである。外国語教科書に現代の会話文を大量に載せたのは当時革新的だった。1890年に英語版も出版された。音声記述の面でもイントネーションを示すなど、『音声学提要』より進んだ点もあった。
1911年のブリタニカ百科事典第11版で「音声学」(Phonetics) の項を担当したのが音声学に関する最後のまとまった著述となった。
はやくから世界的に名の知られた学者であったが長期にわたって大学に職を得ることができず、1901年になってようやくオックスフォード大学で准教授に就いた。スウィートは論文の中で他の学者を激しく攻撃したため、バーナード・ショーは、その辛辣さによって職が得られなかったのではないかと『ピグマリオン』の序文に書いている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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