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プラッシーの戦い : ミニ英和和英辞書
プラッシーの戦い[ぷらっしーのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

プラッシーの戦い : ウィキペディア日本語版
プラッシーの戦い[ぷらっしーのたたかい]

プラッシーの戦い(プラッシーのたたかい、ベンガリー語:পলাশীর যুদ্ধ, 英語:Battle of Plassey)は、1757年6月23日インドベンガル地方の村プラッシーにおいて、 イギリス東インド会社の軍とベンガル太守ムガル帝国の地方長官)と後援するフランス東インド会社の連合軍との間で行われた戦い。
この戦いは七年戦争とも関係し、イギリスフランス間の植民地を巡る戦いの1つでもあった。また、この戦いを機にベンガル太守はイギリスに従属していくようになり、徐々に傀儡化していった。
==経緯==
アンボイナ事件1623年)以降、イギリスはインドへ本格的に進出した。その先兵になったイギリス東インド会社ボンベイマドラスカルカッタに商館を設置、要塞化しながらインド支配の拡大を図った。
また、17世紀末にフランスもカルカッタの近くにシャンデルナゴルを建設し、18世紀初めにはイギリス勢力を圧倒した。ガンジス川下流域のベンガル地方ムガル帝国時代、絹や木綿の産地であり、藍(インディゴ)やアヘンなどの集散地でもあった。
ムガル帝国はベンガル地方にベンガル太守ナワーブ)を置いて支配したが、1707年に皇帝アウラングゼーブが死ぬと帝国は分裂状態となって、その過程でこの地の太守は実質的に独立した。それに乗じてイギリスは貿易活動を活発化していたが、かねてから関税などの問題でイギリスと対立関係にあったベンガル太守は、ウィリアム要塞の強化問題を機に軍事衝突事件を引き起こす。
1756年6月、ベンガル太守シラージュ・ウッダウラは関税問題や要塞強化に対するイギリスの返答を不服とし、カルカッタのウィリアム要塞を攻撃した。それより以前、1754年にはフレンチ・インディアン戦争が勃発しており、1756年5月17日にイギリスがフランスに宣戦布告していたので、フランスはカルカッタ救援を拒否した〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.270〕。この攻撃により、ウィリアム要塞は占拠され、イギリス人捕虜が牢獄内で多数死亡するブラック・ホール事件が起きた〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.270〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「プラッシーの戦い」の詳細全文を読む




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