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フィルミケルソン : ミニ英和和英辞書
フィルミケルソン[ふぃる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

フィル : [ふぃる]
 【名詞】 1. fill 2. (n) fill

フィルミケルソン ( リダイレクト:フィル・ミケルソン ) : ウィキペディア日本語版
フィル・ミケルソン[ふぃる]

フィル・ミケルソンPhil Mickelson, 1970年6月16日 - )は、アメリカカリフォルニア州サンディエゴ出身のプロゴルファーである。
PGAツアー通算42勝(歴代9位)。
== 人物 ==
2004年マスターズ・トーナメントメジャー大会初優勝を飾り、以来メジャー大会通算5勝を挙げている。左打ちの選手で、“The Big Lefty”(ビッグ・レフティー)と呼ばれている。世界ランキング自己最高位は2位。日常生活では右利きだが、本人の言葉によれば「幼い頃に父親のスイングを正面から見て覚えた」ため、ゴルフに限っては左打ちとなった。
ミケルソンは非常に早熟な才能を持ち、アリゾナ州立大学在学中から驚異的な成績を挙げていた。大学1年生だった1989年にNCAAゴルフ選手権で当時の史上最少スコアで優勝。1990年に全米アマチュアゴルフ選手権で優勝。1991年にはまだアマチュア選手のうちにPGAツアー大会のノーザン・テレコム・オープンで優勝している。大学卒業後の1992年にプロ転向。翌1993年のビュイック招待選手権でプロ初優勝を飾り、トッププロに躍進する。しかしメジャー大会の優勝争いではあと少しのところで涙を飲む事が多く、長らく“無冠の帝王”と呼ばれた。2003年はミケルソンのプロゴルファー生活でも最悪の年となり、大リーグ野球のデトロイト・タイガースの3Aで投手の入団テストを受けたことさえある。
しかし2004年マスターズ・トーナメントで、彼の努力はついに報われる。最終日の18番ホールでバーディーパットを沈め、9アンダーパー(-9)で初優勝を飾った。大会前年優勝者のマイク・ウェアカナダ)も左打ち選手であったため、マスターズのグリーン・ジャケット授与式では左打ち同士が顔を合わせた。続く全米オープンでも優勝争いに絡んだが、レティーフ・グーセンに惜敗。2005年のマスターズでは10位に終わったが、8月の全米プロゴルフ選手権で初日からトップをキープする完全優勝を果たし、メジャー大会2冠を獲得する。2006年のマスターズではフェード用、ドロー用の2本のドライバーを使い分け、最終日に抜け出し、メジャー大会2連勝を成し遂げた。
2007年度は、開催時期が5月第2週に変更されたプレーヤーズ選手権で初優勝を果たす。2008年度はツアー2勝、2009年度はツアー3勝を挙げた。2010年はマスターズで優勝を飾った。マスターズ通算3勝は2010年時点で歴代4位タイの記録となる。
ミケルソンのゴルフは華麗な技術で人気が高いが、大舞台の勝負所で短いパットを外す場面が目立っていた。
全英オープンを長らく不得意としていたが、2011年に自己最高の2位タイ入賞、2013年には20度目の全英挑戦で、左打ちのプレイヤーとしては50年ぶりに全英オープンを制覇して、三冠目のメジャータイトルを獲得した(メジャー5勝目、ツアー42勝目)。2013年の第142回大会は英国北東部のミュアフィールドで16回目の開催であり、ミケルソンはゴルフバッグからドライバーを抜き、ロフト64度のウェッジを入れて、フェアウェイウッド1本(ロフト13度)、ハイブリッド1本(ロフト17度)、アイアン6本(4-9番アイアン)、ウェッジ5本(PW、ロフト52、56、60、64度)、パター1本のクラブセッティングで臨み、最終日7月21日は首位と5打差の9位タイスタートであったが、アウト2バーディ1ボギーの34、イン4バーディの32、計66でラウンドしてスコアを5つ伸ばし、72ホールを唯一人アンダーパーで廻り、通算281打の3アンダーパーで2位に3打差をつけての勝利であった。最終ラウンドの17番ロングホールでは、第1、2打をロフト13度のウッドで2回打って2オンして、2パットでバーディ。
全米オープンでは2位が6度あるが、未勝利。2014年第114回大会が開催されたパインハーストNo.2は、1999年の同コース初開催の全米オープンでペイン・スチュワートに激闘の末敗れた因縁のコースであり、43歳で24回目の全米オープン参戦してメジャー大会グランドスラムに挑んだが、7オーバーで28位タイに終わった。
現在、ゴルフクラブはキャロウェイゴルフを使用しているが、1992年から2000年まではヨネックスを使用していた。親日家としても有名で、1992年から1999年カシオワールドオープン1992年1996年2003年サントリーオープンゴルフで来日している。日本での自己最高位は、1993年カシオワールドオープンでの3位。1999年のカシオワールドオープンでは予選落ちとなったが、インタビューではメモを見ながらではあるものの、日本語で答えていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フィル・ミケルソン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Phil Mickelson 」があります。




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