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パーソナルコンピュータ史 : ミニ英和和英辞書
パーソナルコンピュータ史[ぱーそなるこんぴゅーたし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

パーソナルコンピュータ史 : ウィキペディア日本語版
パーソナルコンピュータ史[ぱーそなるこんぴゅーたし]

パーソナルコンピュータ史(パーソナルコンピュータし)は、パーソナルコンピューター(パソコン)の歴史である。
== 米国における歴史 ==
パーソナルコンピューター(Personal Computer)登場以前に「パーソナルコンピューター」という言葉が使われた一例として、1962年11月3日ニューヨーク・タイムズ紙のJohn Mauchlyの記事がある。この記事では、将来のコンピューターに関する見通しとして普通の子供達がコンピューターを使いこなすであろうことを述べている。
しかし現実には、個人で使える情報処理装置としては1970年代IBM(model 5100)やヒューレット・パッカード(model 9830、9835など)から卓上型のコンピューターが発売されていたが高価であり、個人はもちろん大企業でも限られた部門で購入できたに過ぎなかった。
1970年代中ごろに普及し始めた8ビットマイクロプロセッサーを用いて、ごく限定された機能・性能ながら個人の計算やデータ処理を行うことができ、価格的にも手が届くコンピューターが作られるようになった。
エンジニアや好事家などの中にその趣味の一環としてこの大幅に小型化され安価となったマイクロプロセッサーを応用して独自にマイクロコンピューターを設計・製作する者たちが現れたが、このような個人向けの市場を開拓したという点で重要な位置付けとなるのが1975年1月にPopular Electronics誌で紹介されたMITSのAltair 8800や、その後互換機として発売されたIMSAIのIMSAI(8080)である。Altairは1974年に発表されたばかりの8080マイクロプロセッサーを採用していたが本質的には小型化されたミニコンピューターであり、箱型の筐体にCPU記憶装置を収容し端末を接続する形態であった。起動にも複雑な操作を必要とし本体単体のみではごく限定された機能・性能しか持ち得ないものであったが、拡張ボード(通称 S-100 バス。後にIEEE-696として標準化された)によって柔軟に入出力装置や記憶装置の増設を可能としていたなどその後のパーソナルコンピューターの発展の起爆剤となった(マイクロコンピューターの記事も参照)。
アップルコンピュータを興したスティーブ・ジョブズ1976年に、ガレージで製造したワンボードマイコンApple Iスティーブ・ウォズニアックによる設計)を販売、ごく少数販売するに留まったが、翌年発売したApple IIは大成功を収め同社の基礎を作るとともにパーソナルコンピューターの普及を促した。これは整数型BASICインタプリターをROMで搭載し、キーボードを一体化、カラービデオディスプレイ出力機能を内蔵したもので、今日のパーソナルコンピューターの基本的な構成を満たしている。Apple IIはオープンアーキテクチャーであったため多くの互換機をも生み出すこととなり、同時にシェアも奪われることにつながった。後に互換機メーカーへの警告や提訴を行ったが、互換機メーカーが無くなることはなかった。

1980年前後になるとアップルタンディ・ラジオシャックコモドールといったいわゆる御三家以外にもアタリシンクレア・リサーチ(イギリス)など多くのメーカーが参入し、相互に互換性を持たない独自仕様で競合した。

1981年に参入したIBMのパーソナルコンピューターIBM Personal Computer model 5150(通称IBM PC。あるいは単に「PC」、のちの互換機と区別して「Original PC」とも)の登場と共に16ビットCPU時代の幕開けを迎えた。IBM PCは同時代の水準としても既に特別に高性能なコンピューターではなかったが、ハードウェア仕様のオープン化やマイクロソフトとの協調、加えて何よりも大きい同社のブランド力でビジネス市場で大成功を収めた。オープンアーキテクチャーにより IBM PC以外のコンピューター本体や周辺機器などを供給していたメーカーやベンダーもIBM PC互換機を発売し、IBM PC互換機市場は急速に拡大して行った。IBMはハードディスク装置を内蔵したPC/XTに続いて、CPUを高速版の80286にしたPC/ATを発売、他社も互換製品(PC/AT互換機)を発売して、他の仕様のパーソナルコンピューターを圧倒し、PC/AT互換機はオフィスで用いるタイプのパーソナルコンピュータの業界標準になった〔「PC」と言えばこのPC/AT互換機を指すことが多いほどになった。〕。
一方、アップルが1980年5月に満を持して投入したApple III(Apple3)はApple IIとの互換性が完全ではなかった上に品質上の問題も抱え、市場で受け入れられることなく失敗する。Apple IIIに見切りをつけたアップルは、GUI(GUI)とマルチタスクを備えたLisa1983年に発売し注目を集めるが、これも高価すぎて営業的には失敗に終わる。その後、より安価なMacintosh1984年に発売するとようやく一定の成功を収めた。しかしApple IIで互換機メーカーにシェアを奪われる苦汁をなめたことからクローズドアーキテクチャーにした。当然、互換機という敵はなかった。がやがて様々な思惑のもとにMacintosh互換機事業を開始したが、この時点で既にPC/AT互換機が業界標準となりつつあったため、パーソナルコンピュータ全体の中でのシェアは期待ほど伸びず、逆に互換機メーカーとMacintosh互換機市場を食い合う結果となった。最終的にアップルは互換機ビジネスを中止してクローズドアーキテクチャに回帰し、パーソナルコンピュータ全体の中でのシェア争いは放棄し、アップル社としての利益を確実に確保することを選択した。
1980年代から高機能端末としてワークステーションが発達してきていたが、1990年代、パーソナルコンピュータのネットワーク機能が充実し、フル機能のUNIXが動作するようになってワークステーションとパーソナルコンピュータとの境界は曖昧になった。2000年代、MacintoshのOSはUNIXベースのMac OS Xへと移行し、またPC/AT互換機のOSもUNIX同等の機能を持ったWindows NT系へと移行した。
1990年代末には、パーソナルコンピューター市場は多数のメーカーによるPC/AT互換機とWindowsの組み合わせ(Wintel)がほぼ支配するようになった。だが、コモディティ化が進みメーカーによる差別化が困難となったPC市場では、デル社など低価格で製造するメーカーがいくつも乱立、過当競争によって各メーカーは利益率が著しく低下し経営内容は悪化、市場からの撤退や合併買収など、再編が相次いだ。PCのオリジナルであるIBM PCを開発・販売したIBMも、パーソナルコンピューター事業の業績不振から、2004年12月にパーソナルコンピューター事業を中国のレノボ・グループ(聯想集団)に売却すると発表した。ハードウエアのオープンアーキテクチャー化を大きな要因として繁栄したPC/AT互換機であったが、その本家本元のIBMが、最終的にはその互換機同士の過当競争によって市場撤退へと追い込まれてしまうことになったのである。
一方、Macintoshは、アップル社が他社による互換機を排し、ハードウェア・OS・小売事業の全てをアップル一社で提供する、という垂直統合のビジネスモデルを堅持したおかげで、全パーソナルコンピュータ販売数に占める割合、という点では見かけ上は比較的小さくても、実は好調な利益率を確保することでビジネス(会社経営)としては成功し、さらには、個人ユーザーに焦点を合わせたことが功を奏し、パーソナルコンピュータ全体に占めるシェアまでも再びじわじわと拡大する傾向となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「パーソナルコンピュータ史」の詳細全文を読む




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