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バーナード・トミッチ : ミニ英和和英辞書
バーナード・トミッチ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

バーナード・トミッチ ( リダイレクト:バーナード・トミック ) : ウィキペディア日本語版
バーナード・トミック[ちょうおん]

バーナード・トミックBernard Tomic, 1992年10月21日 - )は、オーストラリアの男子プロテニス選手。ドイツシュトゥットガルト出身でゴールドコーストに在住している。これまでにATPツアーでシングルス3勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス17位。身長196cm、体重91kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。両親がユーゴスラビア系であることからトミッチと呼ばれることも多い。
2011年ウィンブルドン選手権ベスト8。2015年インディアンウェルズ・マスターズ上海マスターズベスト8。
== 来歴 ==
トミックはドイツシュトゥットガルトで生まれ、3歳のときに一家でオーストラリアに移住する。父はクロアチア人で母はボスニア人である。妹のサラもジュニアのテニス選手である。7歳のときから父親の手ほどきでテニスを始める。ジュニア時代から注目を集め、13歳でIMGとマネジメント契約を結んでいる。
15歳で出場した2008年全豪オープン男子ジュニアシングルスでは決勝で台湾楊宗樺を4–6, 7–6(5), 6–0 で破り優勝している。15歳3ヶ月での優勝は最年少記録である。
2009年全豪オープンに主催者推薦で4大大会に初出場。1回戦でポティート・スタラーチェを 7-6(5), 1-6, 7-6(5), 7-6(6) で破り初勝利を挙げる。2回戦でジレ・ミュラーに 6-3, 1-6, 4-6, 2-6 で敗れた。全米オープンではジュニアの男子シングルスで優勝している。
トミックは2011年に躍進した。全豪オープンでは2回戦で第31シードのフェリシアーノ・ロペスを 7-6(4), 7-6(3), 6-3 で破り、3回戦で第1シードのラファエル・ナダルと対戦した。ウィンブルドンでは予選から勝ち上がり、1回戦で第29シードのニコライ・ダビデンコを 7-5, 6-3, 7-5 、2回戦でイーゴリ・アンドレエフを 4-6, 5-7, 6-3, 6-4, 6-1、3回戦では第5シードのロビン・セーデリングを 6-1, 6-4, 7-5、4回戦ではグザビエ・マリスを 6-1, 7-5, 6-4 で破り18歳でベスト8進出を果たした。予選から勝ち上がった選手が、男子シングルスでベスト8に進出するのは11年ぶりの快挙であった。準々決勝では優勝したノバク・ジョコビッチに 2-6, 6-3, 3-6, 5-7 で敗れたが第2セットを奪う健闘を見せた。この活躍によりランキングが158位から71位に大幅に上がった。10月の楽天ジャパンオープンにも出場し、1回戦でビクトル・トロイツキ、2回戦で伊藤竜馬を破りベスト8に進出した。大会後のランキングでは49位となりトップ50位入りを果たしている。
2012年は開幕戦のブリスベン国際でベスト4に進出。全豪オープン前哨戦のクーヨン・クラシック(非公式戦)の決勝で、マーディ・フィッシュを破り優勝した。全豪オープンでは1回戦で第22シードのフェルナンド・ベルダスコを 4-6, 6-7(3), 6-4, 6-2, 7-5 、2回戦でサム・クエリーを 3-6, 6-3, 7-6(3), 6-3 、3回戦は第13シードのアレクサンドル・ドルゴポロフを 4-6, 7-6(0), 7-6(6), 2-6, 6-3 の逆転で勝利し4回戦に進出した。4回戦ではロジャー・フェデラーに 4-6, 2-6, 2-6 のストレートで敗れた。
7月のロンドン五輪でオリンピックに初出場した。シングルス1回戦で日本錦織圭に 6-7(4), 6-7(4) で敗れた。
2013年1月のシドニー国際でトミックは初めてツアー大会の決勝に進出。ケビン・アンダーソンを 6–3, 6–7(2), 6–3 で破り初優勝を果たした。翌年の大会も決勝に進出したが、フアン・マルティン・デル・ポトロに 3–6, 1–6 で敗れ連覇を逃した。
2014年7月のコロンビア・オープンでは決勝でディフェンディング・チャンピオンのイボ・カルロビッチに勝利し優勝。
2015年全豪オープンでは3年ぶりに4回戦進出。3月のBNPパリバ・オープンでは3回戦で第8シードのダビド・フェレールに、4回戦で同胞のタナシ・コキナキスに勝利しマスターズ初のベスト8に進出。準々決勝ノバク・ジョコビッチ戦は試合前に棄権した。全仏オープンでは2回戦でコキナキスに敗れた。ウィンブルドンでは3回戦でノバク・ジョコビッチに敗れた。ディフェンディング・チャンピオンとして臨んだコロンビア・オープンでは決勝でアドリアン・マナリノに勝利し連覇を果たした。全米オープンでは3回戦に進出し、リシャール・ガスケに敗れた。上海マスターズでは2回戦で第7シードのダビド・フェレールに、3回戦で第11シードのリシャール・ガスケに勝利しマスターズ2度目のベスト8進出。準々決勝でノバク・ジョコビッチに敗れた。
2016年全豪オープンでは第16シードで出場し、4回戦でアンディ・マレーに敗れた。2月のメキシコ・オープンで決勝に進出し、500の大会では初めて決勝進出。決勝でドミニク・ティエムに敗れ、準優勝。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バーナード・トミック」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Bernard Tomic 」があります。




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