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ハーシュハイザー : ミニ英和和英辞書
ハーシュハイザー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ハーシュハイザー ( リダイレクト:オーレル・ハーシュハイザー ) : ウィキペディア日本語版
オーレル・ハーシュハイザー[ちょうおん]

オーレル・レナード・ハーシュハイザーOrel Leonard Hershiser IV, 1958年9月16日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手アメリカ合衆国ニューヨーク州バッファロー出身。ニックネームは「Bulldog」。ハーシャイザーハーシハイザーとも表記される。
== 経歴 ==
ニューヨーク州バッファローの上流階級の家庭に生まれる。ハーシュハイザー家では長男が必ずオーレルの名を受け継ぐ事になっており、彼は4世である。
MLBドラフトロサンゼルス・ドジャースから17巡目に指名を受け入団。9月1日モントリオール・エクスポズ戦でメジャーデビュー。は序盤リリーフとしての起用だったが、7月4日ピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャー初完封を達成すると7月は月間4完封を記録、ピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞するなど先発に定着。11勝8敗・防御率2.66・リーグ最多タイの4完封の成績で、ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では3位に入った。は後半戦で負けなしの11連勝・防御率1.34と絶好調で、19勝3敗・リーグ3位の防御率2.03を記録し、サイ・ヤング賞の投票では3位に入った。は14勝14敗・防御率3.85と成績を落とす。は前半戦で10勝を挙げて自身初のオールスターゲームに選出される。最終的に16勝16敗・防御率3.06、リーグ最多の264.2イニングの成績だった。
開幕投手を務めた左腕エースのフェルナンド・バレンズエラが故障で5勝に終わるのに対し開幕から6連勝を記録し、6・7月にも6連勝。前半戦で13勝を記録し、2年連続でオールスターゲームに選出される。8月30日のエクスポズ戦で5回に2失点を喫するが、6回以降の4イニングを無失点に抑えた後、5試合連続で完封勝利。シーズン最後の登板となったサンディエゴ・パドレス戦でも10回を0点に抑え、ドジャースの大先輩ドン・ドライスデールがに打ち立てた58回2/3イニング連続無失点のメジャー記録を更新する59イニング連続無失点を記録した。23勝8敗・防御率2.26、いずれもリーグ最多の267.0イニング・15完投・8完封の成績でダニー・ジャクソンと並んで最多勝のタイトルを獲得し、チームの地区優勝に大きく貢献した。ポストシーズンに入っても勢いは止まらず、ニューヨーク・メッツとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、第7戦で5安打完封勝利を挙げてリーグ優勝をもたらし、シリーズMVPを獲得。下馬評では不利とされていたオークランド・アスレティックスとのワールドシリーズでは第2戦で3安打完封勝利を挙げた上に、打ってもシリーズ史上64年ぶりの「投手の1試合3安打」を記録。第5戦でも2失点完投勝利を挙げ、4勝1敗でアスレティックスを下して7年ぶりのワールドチャンピオンとなり、ワールドシリーズMVPを受賞。サイ・ヤング賞、ゴールドグラブ賞も獲得した。直後に開催された日米野球でも来日したが、第1戦で日本ハム田村藤夫に、第3戦で南海佐々木誠に本塁打を打たれた。
は初登板のシンシナティ・レッズ戦で初回二死後に失点し、連続無失点記録が途切れた。15勝・防御率2.31、リーグトップの256.2イニングながら、後半戦で7連敗を喫するなど援護に恵まれず、リーグワーストタイの15敗と「元の姿」に戻ってしまった。は故障のため僅か4試合の登板に終わる。は5月下旬に復帰し7勝。はリーグワーストタイの15敗を喫する。は5月21日コロラド・ロッキーズ戦で4年ぶりの完封勝利を挙げるが、12勝14敗。打率.356を記録してシルバースラッガー賞を受賞した。は1994年から1995年のMLBストライキの影響で6勝に終わり、オフにフリーエージェントとなった。
4月8日クリーブランド・インディアンズと契約。後半戦で11勝を記録するなど16勝を挙げて復活する。チームは2位に30ゲーム差を付けて独走で地区優勝。シアトル・マリナーズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2勝・防御率1.29を記録してMVPに選出され、両リーグでリーグチャンピオンシップシリーズMVPを獲得した初めての選手となった。アトランタ・ブレーブスとのワールドシリーズでは第1戦と第5戦に先発していずれもグレッグ・マダックスと投げ合い1勝1敗だったが、チームは2勝4敗で敗退。は15勝を挙げて2年連続の地区優勝に貢献するが、ディビジョンシリーズボルティモア・オリオールズに敗退。は14勝を挙げてチームは地区3連覇を果たす。オリオールズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し、勝利こそ付かなかったが7回無失点と好投、2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。史上初めてワイルドカードから勝ち上がったフロリダ・マーリンズとのワールドシリーズでは第1戦と第5戦に先発したが、計13失点と振るわず2敗を喫し、3勝4敗で敗退した。オフにフリーエージェントとなり、12月9日サンフランシスコ・ジャイアンツと契約。
は11勝を挙げるが、チームはワイルドカード決定戦でシカゴ・カブスに敗れポストシーズン進出を逃した。オフにフリーエージェントとなり、2月20日にインディアンズと契約。3月25日に解雇されるが、同日ニューヨーク・メッツと契約〔スプリング・トレーニングで野茂英雄と先発ローテーションを争い、敗れた野茂は解雇され、シカゴ・カブスのマイナーを経てミルウォーキー・ブルワーズに移籍。〕。13勝を挙げてチームのワイルドカード獲得に貢献する。ポストシーズンではリリーフでの登板のみだった。11月17日に古巣ドジャースと契約。は年齢もあって衰えを隠せず、1勝5敗・防御率13.14に終わり、6月27日に解雇され、現役引退。
引退後は途中からまでテキサス・レンジャーズの投手コーチを務めた。現在はESPNBaseball Tonight』で解説者を務めている。
弟のゴードン・ハーシュハイザーも投手で、メジャーに昇格することはできなかったが、1987年から4シーズン、兄と同じドジャースのマイナーに所属していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オーレル・ハーシュハイザー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Orel Hershiser 」があります。




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