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ハインケルHe162 : ウィキペディア日本語版
ハインケルHe162[はいんけるえいちいー162]


ハインケル He 162(Heinkel He 162)は第二次世界大戦末期にナチス・ドイツハインケル社で開発製造された単発単座ジェット戦闘機。
愛称は「フォルクスイェーガー(Volksjäger)」。ドイツ語で「国民戦闘機」を意味し、これはドイツ航空省(RLM)により同機に付けられた制式名称である。この名称は一般市民による製造と搭乗をも想定した戦闘機開発計画から同機が生まれたことにちなむ(同様の用語に国民突撃隊がある)。また、同機は開発計画の中では「ザラマンダー(Salamander、火トカゲ(サラマンダー)の意)」のコードネームで呼ばれ、さらにハインケルからは「シュパッツ(Spatz、スズメの意)」とも呼ばれた。
初期のジェット戦闘機の中では最も速く飛ぶことができ、戦局の悪化からアルミニウム不足をきたしたため、機体合板で代用できる部分は代用したこと、外見的には単発ジェットエンジンを背負式に装着していることが主な特徴である。
== 開発経緯 ==

1944年2月20日から25日にかけて、アメリカ陸軍航空軍第8空軍を中心とする連合軍によってビッグウィークと呼ばれるドイツ本土への一連の爆撃作戦が敢行された。その頃より、以前は護衛機なしで飛来していたアメリカ軍の爆撃機P-51が随伴するようになった。これはドイツ空軍機の迎撃行動に大きな制約を与え、それまでは容易に爆撃機まで接近できていたものが護衛機によって阻止されるようになってしまった。ドイツの迎撃機は対爆撃機用に次第に重武装・重装甲になっていたのだが、それらが招いた重量増大が仇となり、アメリカ軍の軽快な護衛機の前では苦戦を強いられたのである。

数で勝るアメリカ軍はドイツ軍を次第に圧倒していき、1944年4月末にはドイツ空軍の戦闘機部隊は骨抜きの状態になってしまっていた。迎撃に上がれるドイツ軍機が著しく減ったため、アメリカ軍の戦闘機は容易にドイツの飛行場、鉄道を破壊し、トラック輸送を寸断していくことができた。そうしていよいよドイツの物流は滞り、軍用機の整備や燃料補給にも支障が生じ始めた。

この状況はドイツ空軍にとって致命的であり、制空権を再び奪い返すためのジェット戦闘機の大量生産計画が急遽立ち上げられることとなった。

この計画は二つ立案され、まず一つ目は戦闘機隊総監アドルフ・ガーランドによって主導された。彼は高度な技術の投入と大量生産を両立させることは不可能であると考え、既に量産が始まっていたジェット戦闘機Me 262の生産を重点的に推し進めるべきだという主張を行った。
そしてもう一つは、空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングと、軍需相アルベルト・シュペーアによって支持された軽戦闘機開発計画であった。
彼らはその計画を「フォルクスイェーガー」と名付け、即座に大量生産可能な単発ジェット戦闘機の供給計画であった。これにはガーランドや空軍の他の将校が反対した。
ゲーリングはシュペーアが即座に供給できるとする戦闘機を拒否することに驚いたが、ガーランドは旧機種や爆撃機からの戦闘機への転換さえ困難であったのに、中間練習機からの転換はおろか、グライダー訓練からの配備ではパイロットの損失のみを生む、として譲らなかった。結局、ゲーリングはヒトラーの要請から強引に計画を推し進め、ガーランドの意見は排除された〔このガーランドとゲーリングの対立は、後にガーランドが戦闘機隊総監を罷免される一因ともなった。また、アメリカ軍の燃料施設や生産施設への爆撃により、殆どの飛行機は結局戦闘ができず、ガーランドの意見が歴史的には正しかった。〕。

最終的に提示された航空省の公式の要求仕様では、ジェットエンジンBMW 003を搭載した単座戦闘機という形にまとめられた。この戦闘機には可能な限り木製部品を用い、熟練工以外の労働者でも組み立てられることが重要とされた。そして重量は2,000kg以内、最高速度は海面高度で750km/h、作戦可能な航続時間は最低30分、離陸滑走距離は500m以内、武装は20mm口径のMG 151/20機関砲(100発)か30mm口径のMK 108機関砲(50発)のいずれかを装備するという厳しい要求が並び、さらに操縦が容易であることが強く求められていた。しかもグライダー訓練しか行っていないようなパイロット候補生でも空戦を行える程度の操縦性が望ましいとまでされていたのである〔パイロットの減少を補うため、当初はグライダーで訓練を受けたヒトラーユーゲントの搭乗を予定していた。〕。

この仕様は1944年9月10日に内示されたが、応募意志のあるメーカーはその10日以内に基本設計案を提出せよという慌しい期限付きで、1945年1月から本格生産を開始させるために厳しいスケジュールが組まれていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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