翻訳と辞書
Words near each other
・ ノルトハウゼン
・ ノルトハルベン
・ ノルトブラバント州
・ ノルトブラーバント州
・ ノルトブルク島
・ ノルトブルグ島
・ ノルトホラント
・ ノルトホランド
・ ノルトホルツ航空基地
・ ノルトホーラント
ノルトマルク
・ ノルトラインヴェストファーレン州
・ ノルトライン・ヴェストファーレン
・ ノルトライン・ヴェストファーレン州
・ ノルトライン=ヴェストファーレン
・ ノルトライン=ヴェストファーレン州
・ ノルトリプチリン
・ ノルトンの定理
・ ノルトヴィント作戦
・ ノルトヴィント作戦 (1941年)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ノルトマルク : ミニ英和和英辞書
ノルトマルク
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ノルトマルク : ウィキペディア日本語版
ノルトマルク

ノルトマルク()は、965年に広大なゲロ辺境伯領が分割された際に創設された辺境伯領。もともとは辺境伯領の北側の3分の1(現在のブランデンブルク州にほぼあたる)を含み、ヴェンド人から奪った地域から成っていた。983年のリューティチ族の反乱以降、12世紀にアルブレヒト1世(熊公)ブランデンブルク辺境伯領を創設するまで、ドイツによる支配が及ばなかった。
== スラヴ人による領有 ==

民族移動時代に、多くのゲルマン人がローマ国境に向けて移動し始めた。一方、北方領域ではゲルマン人に替わって主にスラヴ人(ヴェレト族、のちリューティチ族)が定住した。最初のスラヴ族は、アヴァール人がヨーロッパに侵入した後、720年までには確実にブランデンブルクに入ってきている。それらのスラヴ人はモラヴィア経由で入ってきているが、モラヴィアには7世紀半ばには到達していた。残ったゲルマンのセムノニ族はそれらのスラヴ人に吸収されていった。
シュプレー川沿いに定住した人々の集団はシュプレヴァン族として知られるようになる。彼らは現在のバルニム台地とテルトウにあたる、ハーフェル川ヌテ川によって形成される線の東側に定着した。また、ケーペニックのシュプレー川とダーメ川の合流地点に中心となる要塞を造った。ヘヴェリ族はその線の西側、現在のハーフェルラントとツァウヒェにあたる地域に定住した。彼らはハーフェル川の古ゲルマン語の名称である"ハブラ"(Habula)から"ハベリ"(Habelli)と名付けられたが、自らは"シュトドラニー"(Stodoranie)と呼んでいた。彼らは中心となる要塞を"ブレンナ"(現在のブランデンブルク)に建設した。ヘヴェリ族はベルリンシュパンダウ要塞の地に広大な開拓地を作り上げた。シュプレヴァン族およびハヴェリ族は近隣のゲルマン人だけでなく、スラブ人とも戦った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ノルトマルク」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.