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ネリー・ブライ : ミニ英和和英辞書
ネリー・ブライ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ネリー・ブライ : ウィキペディア日本語版
ネリー・ブライ[ちょうおん]

エリザベス・ジェーン・コクランElizabeth Jane Cochran, 1864年5月5日 - 1922年1月27日)は、アメリカ合衆国ジャーナリストネリー・ブライ(Nellie Bly)のペンネームで最もよく知られる。彼女は最初期の調査ジャーナリストであり、暴露報道の開拓者であった。彼女は後にその姓をコクレーン (Cochrane) に変更した。
彼女はペンシルベニア州コクランズ・ミルズで生まれ、洗礼時に来ていた明るいピンク色の服から「ピンク ''Pink''」の愛称で呼ばれるようになった。
コクランはピッツバーグ・ディスパッチ紙の性差別主義のコラムに反論を投稿した。その投稿の質は高く、同紙の編集長は彼女にリポーターとして記事の執筆を依頼した。彼女は当時職を探しており、その依頼を引き受けることとなった。さらに編集長は、スティーブン・フォスターのヒット曲中のタイトル・キャラクター、ネリー・ブライを彼女のペンネームとして与えた。
ブライは同紙でいくつかの調査記事を執筆した。その後彼女は同紙を離れ、ニューヨークジョーゼフ・ピューリツァーのニューヨーク・ワールド紙に職を得た。彼女が同紙で最初に担当した記事は、ブラックウェル島の女性精神病院の記事であった。彼女は自身を患者達が病院で扱われたように委ね、その事実を明らかにした。秘密を調査し暴露するという手法は彼女のトレードマークとなった。
1888年に、ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』をモデルとして実際にリポーターを世界一周させるという企画が決定し、ネリー・ブライがそのリポーターに決定した。1889年11月14日に彼女はニューヨークを出発し、24,899マイルの旅に出た。
「彼女のホーボーケン出発後、72日と6時間11分14秒」(1890年1月25日)、ネリーはニュージャージー州(厳密なネリーの出発地点で、ニューヨーク市に隣接)に到着した。このとき、ネリーの世界一周企画に刺激を受けた他の雑誌社がやはり女性記者のエリザベス・ビスランドをネリーとほぼ同時に世界一周旅行(ネリーの東回りに対し、ビスランドは西回り)に派遣し、ネリーとビスランドは競争する立場となったものの、ビスランドは76日を要したためネリーを上回ることはできなかった。
ネリーの旅行は地球一周の世界記録であったが、数カ月後、62日で世界一周を成し遂げたジョージ・フランシス・トレインによってこの記録は破られた。
世界一周の旅行中に彼女はイギリスだけでなく、日本中国香港ブリンディジコロンボサンフランシスコなどを訪れた。彼女は単独世界一周旅行を行った最初の女性であった。日本には5日間滞在し、横浜東京鎌倉などを観光した。日本の印象はすこぶるよかったようで、帰国後に出版した旅行記の中で、日本のことを「愛と美と詩と清潔の国 (the land of love-beauty-poetry-cleanliness)」と評し、見聞きしたことや人々にいかに魅了されたかを綴っている〔Hundred and Twenty Hours in Japan. Around the World in Seventy-Two Days, by Nellie Bly〕。
ネリー・ブライは1895年に富豪のロバート・シーマンと結婚し、ジャーナリズムから一時引退した。彼女は1904年に夫が死んだ後、その会社の管理を引き継いだ。彼女はその後ジャーナリズムの世界に復帰し、1913年の女性投票権協定や第一次世界大戦ヨーロッパ東部戦線のレポートを行った。
1922年1月27日、エリザベス「ピンク」コクレーンは57歳で肺炎で死去した。
ニューヨークのブルックリン区に、彼女にちなんで命名された、『八十日間世界一周』をテーマにした小さな遊園地がある。
== 外部リンク ==

*Ten Days in a Mad-House, and other early investigative reports by Nellie Bly
*An account of Cochrane's trip around the world (リンク切れ)
*Nellie Bly's Book: Around the World in Seventy-Two Days - 『72日間世界一周』全文(英語)
*Spartucas Educational biography
*Bly - ネイリー・ブライに関する情報サイト(英語)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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