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トキノミノル : ミニ英和和英辞書
トキノミノル
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


トキノミノル : ウィキペディア日本語版
トキノミノル

トキノミノル日本競走馬である。10戦10勝・うちレコード優勝7回という成績でクラシック二冠を制したが、東京優駿(日本ダービー)の競走17日後に破傷風で急死、「幻の馬」と称された。戦後中央競馬で10走以上した馬で、唯一全勝を記録している〔戦前クリフジが11戦11勝という成績を残している。〕。主戦騎手岩下密政1984年顕彰馬に選出。デビュー当初は「パーフエクト(パーフェクト。以下同様に記述)」の名称で出走していた。
== 出生 - デビューまで ==
1948年、北海道三石郡三石町(現・日高郡新ひだか町)の本桐牧場に生まれる。父セフトは当時のリーディングサイアー、母の第弐タイランツクヰーンは小岩井農場の基礎輸入牝馬の1頭・タイランツクヰーンの娘。第6仔であった。幼名(血統名)は「パーフェクト」。当時本桐牧場には7頭の繁殖牝馬が繋養されていたが、当年誕生したのは本馬のみであった〔岩川(1994)〕。このため 千葉県から「遊び相手」として同齢の牡馬が買われ、同馬と共に幼駒時代を過ごした〔岩川 pp.234-235〕。
生産者である笠木政彦の回想に依れば「生まれたときから大きく、逞しい仔〔岩川(1994)p.234〕」であったが、当時セフトは日本では非主流であった短距離向きの種牡馬と見られており、また兄姉の成績も芳しくなく、すぐに買い手は付かなかった〔<渡辺(2004)p.108〕。しかし東京から訪れた調教師・田中和一郎は後躯の発達振りに惚れ込み〔『日本の名馬・名勝負物語』p.110〕、大映社長・永田雅一に購入を勧めた。当初永田は渋っていたが、笠木からも説得を受けて購買、自身の所有馬とした〔。売却額は100万円という高価〔トキノミノル出走時の東京優駿1着賞金が100万円。〕であった。しかし永田は本馬にさして思い入れを見せず、競走年齢の3歳を迎えても競走名を付けなかった。これを受けて笠木が田中に相談し、やむなく血統名パーフェクトのまま競走登録が行われた〔岩川(1994)p.246〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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