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ダグラス・エンゲルバート : ミニ英和和英辞書
ダグラス・エンゲルバート[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ダグラス・エンゲルバート : ウィキペディア日本語版
ダグラス・エンゲルバート[ちょうおん]

ダグラス・エンゲルバート(''Douglas Carl Engelbart''、1925年1月30日 - 2013年7月2日)は、アメリカ合衆国発明家で、初期のコンピュータやインターネットの開発に関与した。特に、SRIインターナショナル内の Augmentation Research Center (ARC) で行ったマンマシンインタフェース関連の業績で知られており、そこでマウスを発明し、ハイパーテキストやネットワークコンピュータやグラフィカルユーザインタフェースの先駆けとなるものを開発した。
エンゲルバートは、コンピュータネットワークの開発と使用が世界の緊急かつ複雑な問題を解決する助けになるという主張をよく行っている。研究室には自身が "bootstrapping strategy" と名付けた一連の原則を貼っていた。その戦略は研究室での技術革新を加速するようエンゲルバートが設計したものである。
== 学生時代 ==
1925年1月30日、アメリカ合衆国オレゴン州ポートランドにて、カール・ルイス・エンゲルバートとグラディス・シャーロット・アメリア・マンソン・エンゲルバートの間に生まれる。父はドイツ人系、母はスウェーデン人ノルウェー人の混血である。
3人兄弟の真ん中で、姉のドリアンヌ(3歳年上)と弟のデービッド(14カ月年下)がいる。当初ポートランドに住んでいたが、9歳か10歳のころ父が亡くなり、ポートランド郊外に引っ越した。ポートランドの高校を1942年に卒業。
オレゴン州立大学に進学したが、第二次世界大戦末期に徴兵されてアメリカ海軍に入隊。フィリピンレーダー技師として2年間働いた。小さな島にある高床式の小さな兵舎で、初めてヴァネヴァー・ブッシュの論文 "As We May Think" に触れ、強い衝撃を受けた〔。戦後オレゴン州立大学に復学し、1948年に電気工学学士号を得た。オレゴン州立大学では Sigma Phi Epsilon というフラタニティに属していた。
卒業後はアメリカ航空諮問委員会 (NACA) に雇われ、エイムズ研究センターで1951年まで勤務した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ダグラス・エンゲルバート」の詳細全文を読む




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