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セキテイリュウオー : ウィキペディア日本語版
セキテイリュウオー[ちょうおん]

セキテイリュウオー日本競走馬である。おもな勝鞍は1994年東京新聞杯 (GIII) 、1993年日刊スポーツ賞金杯 (GIII) 、若葉ステークスで、天皇賞(秋)では2年連続して2着に入るなどマイル(1600m)から2000mを中心に活躍した。全成績は26戦で(5-7-1-13)、二桁着順は一回もなかった。騎手はデビューから4戦を蛯沢誠治が、宝塚記念1戦だけ南井克巳が、残り21戦は当時藤原敏文厩舎の所属騎手であった田中勝春が務めた。
== 現役時代 ==

* 馬齢は旧表記(数え年)で記す。
1989年(平成元年)4月30日、北海道門別にある千葉飯田牧場にてトウショウボーイとレインボーローズの間に鹿毛牡馬として生まれた。生まれた当時について生産者は「バランスは取れて品が良いけど体質は弱かった」と述懐しており、育成が他馬に比べて遅れたと言われている。その後は育成牧場に移動し、体質の弱さも改善され美浦の藤原敏文厩舎に入厩しデビューを迎えることとなった。
デビューは1991年12月、5回中山開催2日目の新馬戦で2着だった。同開催の最終8日で初勝利を挙げ、3歳を終えた。
明け4歳は1992年1月1回中山開催の500万特別若竹賞に出走するが6着に敗れ、翌東京開催の初日500万特別セントポーリア賞に出走し、それまでの先行差しから一転し「逃げ」の戦法を採ったが3着に敗れた。このレースの勝ち馬は、のちのエプソムカップ馬サクラセカイオーで、約3馬身離された3着という内容だった。陣営はここで騎手を蛯沢誠治から所属騎手の田中勝春に乗せ替えて、同開催の最終日500万特別春菜賞に出走したが、先のセントポーリア賞で2着のタイガーエースに2分の1馬身離されるという結果に終わった。このままでは収得賞金額不足によって、皐月賞で除外になるという問題もあり、次走は格上挑戦で皐月賞トライアル若葉ステークスに出走することとなった。
この年の若葉ステークスは出走が9頭と比較的少なかったが、出走するメンバーは共同通信杯4歳ステークスの勝ち馬で1番人気単勝オッズ2.1倍)のエアジョーダン、のちに皐月賞2着、NHK杯優勝、日本ダービー2番人気に支持されたナリタタイセイ、日本ダービーで3着となるマヤノペトリュースなど錚々たるメンバーで、離れた単勝4番人気に過ぎなかったが、同レースを制し皐月賞への優先出走権を獲得した。ナリタタイセイは3着、エアジョーダンは5着、マヤノペトリュースは7着だった。
そして皐月賞に出走する。この年はここまで“栗毛の超特急”ミホノブルボンクラシックの最有力馬とされていた。ミホノブルボンは雨の中行われた前走のスプリングステークス重馬場ながら7馬身差で勝ち、観衆の興味はミホノブルボンがどれだけ強い勝ち方をするかであった。一方、同じく重馬場だった若葉ステークスで好走したセキテイリュウオーはミホノブルボン、同じく皐月賞トライアルの弥生賞馬アサカリジェントに次ぐ3番人気の支持を得たものの6着に終わった。
その後は皐月賞から日本ダービーへ直行するローテーションを組んだが9着に終わり、春のクラシックシーズンを終えた。レース後、骨膜炎が判明し長期休養を余儀なくされ、秋は菊花賞へ直行することになり、18頭中13番人気であったがライスシャワーの6着となった。その後は中山開催のディセンバーステークスでフジヤマケンザンの2着に入り4歳を終えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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