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スヴャトポルク・ユーリエヴィチ : ミニ英和和英辞書
スヴャトポルク・ユーリエヴィチ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

スヴャトポルク・ユーリエヴィチ : ウィキペディア日本語版
スヴャトポルク・ユーリエヴィチ[ちょうおん]
スヴャトポルク・ユーリエヴィチ(、? - 1190年)はユーリー・ヤロスラヴィチの子である。トゥーロフ・ピンスク公:1170年以降 - 1190年。
1157年ガーリチ公ヤロスラフの依頼により、イヴァン・ロスチスラヴィチの引渡しを求めてスーズダリ公(兼キエフ大公ユーリーのもとへ向かったが(この時イヴァンはヤロスラフと敵対関係にあり、ユーリーに捕らえられていた)、イヴァンを庇護しようとする聖職者たちの介入によって、イヴァンはスーズダリへと送られた。
1161年ウラジーミル・ムスチスラヴィチに対する遠征軍に参加した。1168年には他の諸公と共にポロヴェツ族への遠征に参加、またキエフ大公ムスチスラフを支援してウラジーミル大公アンドレイ(ru)と戦った。一方、1173年にはアンドレイ陣営に加わり、ロスチスラフ家と戦っている。
1173年、ガーリチ公ヤロスラフは妻のオリガとの間に軋轢が生じ、オリガを遠ざけた。オリガは息子のウラジーミルと共にポーランドへ逃れたが、スヴャトポルクはオリガの帰還を求めた。一方、1183年、ガーリチ公ヤロスラフと不和になったオリガの息子のウラジーミルに対しては、身元の受け入れを拒否している。
1190年に死亡した。
==子==

*ウラジーミル:ピンスク公
*ロスチスラフ:ピンスク公

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スヴャトポルク・ユーリエヴィチ」の詳細全文を読む




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