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スター千一夜 : ミニ英和和英辞書
スター千一夜[すたーせんいちや]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [せん ち, ち]
 【名詞】 1. thousand 2. many
千一夜 : [せんいちや]
 (n) Thousand and One Nights
: [いち]
  1. (num) one 
一夜 : [いちや, ひとよ]
  1. (n-adv,n-t) one night 2. all night 3. overnight 4. one evening
: [よる]
  1. (n-adv,n-t) evening 2. night 

スター千一夜 : ウィキペディア日本語版
スター千一夜[すたーせんいちや]

スター千一夜』(スターせんいちや)は、フジテレビ系列で、1959年3月1日(フジテレビ開局当日) - 1981年9月25日に放送されたトーク番組。放送回数は6417回。通称は「スタ千」。
== 概要 ==
旬の芸能人スポーツ選手など著名人が出ることが売りとした。番組開始時には映画会社による五社協定が締結されており、テレビに映画スターが出演できなかったのを、芸能番組への出演という形でなく、時事に絡めた社会の話題として取り上げた。なお、番組企画自体は協和広告が担当している。
第1回のゲストは、長門裕之津川雅彦兄弟。最終回のゲストは、美空ひばり
放送日は当初は、日曜日から水曜日で始まり、その後幾度か放送曜日の変更が行われて、月曜日から土曜日までの帯番組となった(一時期土曜放送を廃止したこともあり)。原則的にゴールデンタイムの帯番組として設定され、時間帯も、当初は21時 - 21時15分までの時間帯に放映されたが、幾度かの変更があった末にの19時45分 - 20時までの15分枠に落ち着いた。月曜日から金曜日の19時45分からの15分に落ち着いたのは1974年10月以降である。前時間帯の19時30分 - 19時45分も同じ月 - 金の帯番組で、かつ長寿番組だった『クイズグランプリ』などがあり、フジテレビの毎日の顔的存在の時間帯であった。それだけに番組にステータスがあり、「これに出れば一人前」と言われた番組でもあった。
また、1960年代後半以降、司会者には田宮二郎石坂浩二関口宏など、本業は俳優である芸能人を抜擢する異色の起用方法を取り入れたことも話題となった。特に関口については、本番組が俳優から司会者へのイメージを定着させており、大橋巨泉が関口に対して、司会者としての素質を評価していたという。
番組スポンサーは、旭化成(当時の社名は旭化成工業)と旭化成グループ各社の一社提供。本番組終了後もやはり一社提供で後番組『なるほど!ザ・ワールド』の番組スポンサーとなった。
長年にわたり「旭化成カシミロン」CM(60秒)を放映。番組のトーク進行中に画面下に「提供:旭化成カシミロン」のテロップが数秒間表示される。
番組の途中にて「企業最前線」という生CMコーナーがあり石坂がすぐ隣りの番組セットへ移り旭化成の新製品情報を企業の担当者から話を聞く内容だった。
番組最高視聴率は、1966年12月1日(木)放送(王貞治・恭子夫妻出演)の45.9%(関東地区ビデオリサーチ社調べ)だった。
最多出演者は歴代司会者にも名を連ねる吉永小百合の90回。以後、王貞治(72回)、坂本九浅丘ルリ子(ともに58回)と続く。
なお記念回は、100回や1000回といった切りのいい回ではなく、タイトルにちなんで、1001の倍数回(1001回、2002回…)に行われていた。その時は司会者などが「『千一夜』を○回過ごして参りました」と発言していた(例:3003回の時は「『千一夜』を3回」)。
本番組は、フジテレビの番組の中でも最もカラー化が早く、先ず、1967年4月3日 - 5月8日までの毎週月曜日に(おそらく試験段階として)カラー放送を行い、翌年1968年の元日(1月1日)の放送から、一部の例外を除き、カラー放送となった。〔最後にモノクロで放送されたのは1970年3月23日(#3410)、大相撲春場所優勝者大鵬幸喜と大阪万博各国パビリオンホステスがゲストの回であった〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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