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ジョルダーノ・ブルーノ : ミニ英和和英辞書
ジョルダーノ・ブルーノ[ぶる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull

ジョルダーノ・ブルーノ : ウィキペディア日本語版
ジョルダーノ・ブルーノ[ぶる]

ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno, 1548年 - 1600年2月17日)は、イタリア出身の哲学者ドミニコ会修道士。それまで有限と考えられていた宇宙が無限であると主張し、コペルニクス地動説を擁護した。異端であるとの判決を受けても決して自説を撤回しなかったため、火刑に処せられた。思想の自由に殉じた殉教者とみなされることもある。彼の死を前例に考え、轍を踏まないようにガリレオ・ガリレイは自説を撤回したとも言われる。
== 生涯 ==

=== ナポリ時代(1548年–1575年) ===
1548年にナポリ王国ノーラ(現在のイタリアカンパニア州)で生まれた。もともとはフィリッポ・ブルーノ (Filippo Bruno) という名前であり、父ジョヴァンニ・ブルーノは兵士であった。1562年、14歳のときナポリに移り、ナポリ大学で学んだ。1565年、17歳でドミニコ会に入会、ジョルダーノを名乗った。1572年に司祭に叙階され、1575年にはトマス・アクィナスおよびペトルス・ロンバルドゥスについての論文によって神学博士となった。
ブルーノがトマス・アクィナスへ向けた尊敬は生涯にわたるものであったが、ナポリ時代にすでに独自の思想を育みはじめていた。エラスムス偽ディオニシウス・アレオパギタニコラウス・クザーヌスライムンドゥス・ルルスなどの神学者たち、プラトンおよび新プラトン主義プロティノスポルピュリオスイアンブリコスプロクロスなど)やエピクロス主義(とくにルクレティウス)やピュタゴラス主義やセネカといった古代哲学、さらにはヘルメス主義カバラアヴィセブロンなどのユダヤ思想、イブン=ルシュド(アヴェロエス)はじめアラビア思想、フィレンツェ・プラトン主義(マルシリオ・フィチーノピコ・デラ・ミランドラ)というように、ブルーノの哲学思想の源泉は多岐にわたっている。後年は一貫して批判し続けるアリストテレスについても、ナポリ時代に熱心に研究し、多くのことを学んだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョルダーノ・ブルーノ」の詳細全文を読む




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