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ジム・ガービン : ミニ英和和英辞書
ジム・ガービン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジム・ガービン : ウィキペディア日本語版
ジム・ガービン[ちょうおん]

ジム・ガービンJim Garvin、本名:James Williams1952年9月25日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーフロリダ州タンパ出身。
1980年代を全盛期に、当時としては目新しかった女性マネージャーを従えたヒールとして、NWA南部テリトリーAWAなどで活動した。
== 来歴 ==
9歳の頃にレスリングを始め、1968年11月1日に17歳でデビュー。当初はボウ・ジェームズ(''Beau James'')なるリングネームを用いたが、マネージャーを務めていたテリー・ガービンおよび義父のロニー・ガービンの「弟」としてジム・ガービン(''Jim Garvin'')と改名〔。以降、モントリオールテネシー、地元のフロリダなど各地を転戦してキャリアを積む。
エディ・グラハムの主宰するフロリダのCWFでは1970年代後半よりベビーフェイスの新鋭として台頭、ジャック・ブリスコスティーブ・カーンのパートナーを務め、ボブ・ループディック・スレータージョー・ルダックバグジー・マグローキング・イヤウケアなどのヒール勢とタイトルを争った〔。 1979年1月9日にはスレーターを破りNWAフロリダ・ヘビー級王座を獲得、3月31日にはソー・ザ・ヴァイキングからフロリダ版のNWA南部ヘビー級王座を奪取している。
1980年10月、フロリダ地区との提携ルートを持っていた新日本プロレスの『闘魂シリーズ』に初来日したが、同シリーズには当時「まだ見ぬ強豪」として話題を集めていたポール・オーンドーフも初来日しており、ハルク・ホーガンの2度目の来日とも重なって、ガービンが注目されることはなかった。帰国後はビル・ワット主宰のMSWAに参戦し、1981年3月にアーニー・ラッドを下してルイジアナ・ヘビー級王座を獲得。1982年からは古巣のフロリダでヒールに転向し、バリー・ウインダムミスター・レスリング2号スウィート・ブラウン・シュガーらと抗争した。
ヒールターン後の1983年"ゴージャス" ジミー・ガービン(''"Gorgeous" Jimmy Garvin'')と名乗ってテキサス州ダラスWCCWに登場。従妹の「サンシャイン(''Sunshine'')」ことバレリー・フレンチを女性マネージャーとして帯同し、3月にデビッド・フォン・エリックからNWAテキサス・ヘビー級王座を、7月25日にはケビン・フォン・エリックからNWAアメリカン・ヘビー級王座をそれぞれ奪取した。抗争相手のクリス・アダムスにサンシャインを奪われると、今度は妻のパティ・ウィリアムスを「プレシャス(''Precious'')」と名乗らせて新しいマネージャーに起用〔、アダムス&サンシャイン対ガービン&プレシャスのミックスド・タッグマッチも行われた〔。
1984年8月には、プレシャスを同伴して全日本プロレスの『スーパー・パワー・シリーズ』に来日〔『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P63(2002年、日本スポーツ出版社)〕。当時まだ日本では女性マネージャーの存在が珍しかったこともあって〔ガービン以前には、1981年国際プロレスの最終シリーズにて、ジ・エンフォーサーが夫人のバニー・キャロルをマネージャーとして帯同したことがある。〕、4年前の新日本プロレスでの初来日時とは比較にならないほどの注目を浴び、9月6日に大阪府立体育館にて天龍源一郎UNヘビー級王座に挑戦した。シリーズ中はドリー・ファンク・ジュニアとのシングルマッチも行われたほか、同時来日していたNWA世界ヘビー級王者リック・フレアーともタッグを組み、ジャンボ鶴田&天龍の鶴龍コンビと対戦している。
1985年からはバーン・ガニア主宰のAWAに進出し、リック・マーテルが保持していたAWA世界ヘビー級王座に再三挑戦。タッグではミスター・エレクトリシティことスティーブ・リーガルをパートナーに、9月29日にミネソタ州セントポールにてロード・ウォリアーズからAWA世界タッグ王座を奪取。翌1986年1月18日にスコット・ホール&カート・ヘニングに敗れるまで保持した〔。
王座陥落後はジム・クロケット・ジュニアの運営するNWAミッドアトランティック地区(MACW)に参戦、ワフー・マクダニエルとの抗争を経て、1987年よりベビーフェイスに転向。プレシャスを巡るリック・フレアーとのアングルも組まれ、4月から7月にかけてフレアーのNWA世界ヘビー級王座に再三挑戦した。ロニー・ガービンとのガービン・ブラザーズも復活させ、1988年バーシティ・クラブと抗争を展開したが、9月に足を負傷してしばらく欠場することになる。
1989年ジミー "ジャム" ガービン(''Jimmy "Jam" Garvin'')と名乗り、WCCW時代の旧友マイケル・ヘイズが再編したファビュラス・フリーバーズの新メンバーとして、MACWを買収したテッド・ターナーWCWにて復帰。6月14日にはトーナメントの決勝でボビー・イートンスタン・レーンミッドナイト・エクスプレスを下してNWA世界タッグ王座を獲得した。以降もロックンロール・エクスプレスリック&スコットスタイナー・ブラザーズなどと抗争、1991年2月24日には黒人タッグチームのドゥーム(ロン・シモンズ&ブッチ・リード)を破り、WCW世界タッグ王座にも戴冠している。
1993年WCWを離れ、古巣WCCWの後継団体でもあるダラスのGWFに参戦。テリー・ゴディとフリーバーズを再結成し、1994年6月3日にブラック・バート&ジョニー・ホークからGWFタッグ王座を奪取した。これが最後のタイトル戴冠となり、同年に現役を引退〔。その後はUSエアウェイズパイロットに転じた〔。
2016年、ファビュラス・フリーバーズのメンバーとして、マイケル・ヘイズ、テリー・ゴディ、バディ・ロバーツと共にWWE殿堂に迎えられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジム・ガービン」の詳細全文を読む




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