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シンボリックス : ウィキペディア日本語版
シンボリックス
シンボリックス()は、同名(Symbolics, Inc.)のかつて存在したコンピュータ製造企業の資産を引き継いだ私企業であり、Open Genera LISPシステムやMacsyma数式処理システムの販売と保守を行っている。本項目では、主にかつてのコンピュータ製造企業について解説する。
== 歴史 ==
シンボリックスはケンブリッジに本拠地を置いていたコンピュータ製造企業である。1980年4月9日に設立された。その後、コンコードに拠点を移した。工場はロサンゼルス郊外にあった。シンボリックスは、LISPの実行に最適化されたシングルユーザー型コンピュータであるLISPマシンを設計製造していた。また、ソフトウェア技術においても多大な進歩をもたらし、1980年代から90年代にかけて最高と言われたソフトウェア開発環境を提供していた。これは現在では、ヒューレット・パッカードAlpha 上で動作する Tru64 UNIX 向けの Open Genera として販売されている。そのLISPマシンは、製品として販売された初の「ワークステーション」であった(ただし、当時はワークステーションとは呼ばれていない)。
シンボリックスは、MIT人工知能研究所からのスピンオフであり、同研究所のスタッフやハッカーが集まってLISPマシンを製造することを目的として設立された。同様の企業として Lisp Machines, Inc.(LMI)もあるが、シンボリックスの方が多くのハッカーを集め、資金も豊富だった。
シンボリックスの最初の製品 LM-2 は、MIT CADR というLISPマシン設計の焼き直しであった。そのオペレーティングシステムとソフトウェア開発環境は、MITの Lisp Machine Lisp を使っていて、50万行以上の規模があった。
そのLISPは後に、MITからライセンス供与された他社のものと区別するため ZetaLisp と改称された。そのテキストエディタ ZmacsEmacs から派生したもので、テキスト処理パッケージ "ZWEI" に実装されていた。なお、"ZWEI" は "Zwei was Eine initially" の頭字語であり、"Eine" は "Eine Is Not Emacs" の頭字語である(どちらも再帰的頭字語。"Eine" はドイツ語の「1」、"Zwei" はドイツ語の「2」である)。
LISPマシンのシステムソフトウェアはMITが著作権をもっていて、シンボリックスに対してライセンス供与されていた。1981年まで、MITとは全てのソースコードを共有していた。シンボリックスの従業員によれば、この方針が変更されたのは、リチャード・ストールマンがシンボリックス側が同意できないソース修正を行ったためである。それは例えば、シンボリックスが行った改善からシンボリックスの著作権表示を削除し、それを一部だけ残して(コンパイルできない状態にして)他の商用ライセンシーにも渡していたことである。これに対してストールマンは、シンボリックスがMITに対して同社の行ったソース改変をLMIに開示しないという条件をつけたが、当時のMIT人工知能研究所には、複数のバージョンを個々に保守する環境も余裕もなかったと主張している。
シンボリックスは、製品を完全に制御しているとは言えないと判断し、ソフトウェアを社内のサーバで管理することにした。これについてストールマンは、シンボリックスの目的は同社が行った改良がLMIに渡るのを防ぐことだったとしている〔My Lisp Experiences and the Development of GNU Emacs 2002年10月に行われたストールマンの講演の記録〕。その後シンボリックスはソフトウェアをあらゆる面で改良していき、それを(MITも含む)顧客に提供し続けた。しかし、MITはそれを他者に配布することは許されなかった。オープンな協業関係の終焉は、MITのハッカーコミュニティの終焉を意味していた。これに対して、ストールマンは新たなコミュニティを作るべくGNUプロジェクトを開始した。このストールマンの決断は、著作権侵害で人工知能研究所から除籍されたことも影響していると考えられる。結果として、コピーレフトGNU General Public License によってハッカーのソフトウェアがフリーソフトウェアのままで存在することを保証したが、より制限の多いライセンスでソフトウェア製品を販売する自由を制限することになった。この流れの中でシンボリックスは敵対的な重要な役割を演じ、フリーソフトウェア運動を逆に活気づかせることになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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