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シンガサリ朝 ( リダイレクト:シンガサリ王国 ) : ウィキペディア日本語版
シンガサリ王国[しんがさりおうこく]

シンガサリ王国(シンガサリおうこく、)もしくはシンガサリ朝(シンガサリちょう)は、1222年にケン・アンロク(ラージャサ)によってクディリ王国(クディリ朝)をたおして建国され、1292年にクディリ王家の末裔と考えられるジャヤカトワンによって滅ぼされるまでジャワ東部を本拠に栄えたインドネシアの王朝。ラージャサ王朝とも呼ばれることもある。
シンガサリ王国の歴史については、マジャパヒト王国の宮廷詩人プラパンチャによって1365年に完成された地理書であり歴史書である『デーシャワルナナ』と16世紀初頭に編纂されたと推定される中期ジャワ語による編年体の歴史書『パララトン』を中心に中国の史書や他の時代に比べてわずかであるがプラサスティと呼ばれる石碑の刻文からたどることができる。
==建国者ケン・アンロク(ラージャサ)==

建国者ケン・アンロクは、『パララトン』の伝記によると、農夫の娘から、シヴァ神の息子ないし、化身として生まれ、誕生時には、その体からは光が放たれていたという。ケンアンロクは、若い頃は、放浪、略奪、盗賊行為を繰り返す国家のお尋ね者であったが、神々の庇護を受けているかのようにつかまったためしがなかった。
やがて、彼は、僧侶ダンヒヤン・ローガウェの養子となり、その助力によって、カウイ山の東部クターラジャ(トゥマペル)の領主トゥングル・アメトゥンに仕えることになったが、ここで領主に取って代ろうと密かな野心をいだくようになる。そして刀工ムブ・ガントリンにクリス(インドネシア式の剣)を造るように命じた。しかし、ムブ・ガントリンは、納品日までにクリスを完成できなかった。ケン・アンロクは、自分の野心を邪魔されたと考え、この刀工を未完成のクリスで刺殺した。ムブ・ガントリンは、死の間際に呪いをかけ、このクリスによって、ケン・アンロクとその子孫7代にわたって刺し殺されることになると言い残して死んだ。
さて、ケン・アンロクの友人クボ・イジョは、件のクリスが気に入ってしまい、ケン・アンロクからクリスを借りることに快諾を得ると大喜びでいつもそのクリスを身に着けていた。そのため、だれもがクリスの持ち主をクボ・イジョであると思い込むようになった。その間、ケン・アンロクは、トゥングル・アメトゥン暗殺の機会を狙っていたのである。ある日、ケン・アンロクは、熟睡しているクボ・イジョからクリスを密かに奪うと直ちにトゥングル・アメトゥンの寝室に入ってこれを殺害し、そのそばに故意にクリスを置いて立ち去った。翌朝、トゥングル・アメトゥンの一族は大騒ぎになり、トゥングル・アメトゥン殺害の犯人としてクボ・イジョは死刑になった。ケン・アンロクは、トゥマペルの領主になり、トゥングル・アメトゥンの未亡人ケン・テデスと結婚した。今度は、ケン・アンロクは、クディリ王国を倒す機会をじっと待つようになった。
1222年、クディリ王国では、王と僧侶たちが対立するようになった。クルタジャヤ王の指導力や行動に不満をいだいた多くの僧侶たちは、トゥマペルに身を寄せるようになっていった。ケン・アンロクが僧侶たちを受け入れているのを知ったクディリ王クルタジャヤは、討伐軍を率いてトゥマペルに攻め入ろうと試みた。クディリ軍とトゥマペル軍は、ガンテル村で激突した。鍛え上げられ、満を持して機会をうかがっていたトゥマペル軍は、クディリ軍を打ち破ってこれを滅ぼし、クディリ領を併合してシンガサリ王国が成立した。
シンガサリ王となったケン・アンロクは、尊称をシュリー・ランガ・ラージャサ・サン・アムルワブミとし、以後ラージャサ王(位1222年~27年)の名で呼ばれる。ラージャサ王は、ダプルと呼ばれる地方行政単位を整備した。彼の治世は、平穏であったと歴史書に記されている。
ところで、ラージャサには、ケン・テデスから生まれたアヌサパティ(『パララトン』での名前。『デーシャワルナナ』では、アヌーシャナータ)、マヒサ・ウォンガ・テレン(テレク)と愛人ケン・ウマンから生まれたトージャヤという3人の息子がいた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Singhasari 」があります。




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