翻訳と辞書
Words near each other
・ シアトルズ・ベスト・コーヒー
・ シアトルダンサー
・ シアトルダンサーII
・ シアトルマリナーズ
・ シアトルロール
・ シアトル・コンピュータ・プロダクツ
・ シアトル・サウンダース
・ シアトル・サウンダースFC
・ シアトル・サウンダーズ
・ シアトル・サウンダーズFC
シアトル・シーホークス
・ シアトル・シーホークス先発QBの一覧
・ シアトル・ストーム
・ シアトル・スーパーソニックス
・ シアトル・スーパーソニックスのチーム記録
・ シアトル・スーパーソニックスチーム記録
・ シアトル・タイムズ
・ シアトル・タコマ国際空港
・ シアトル・タコマ造船所
・ シアトル・パイロッツ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

シアトル・シーホークス : ミニ英和和英辞書
シアトル・シーホークス[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

シアトル・シーホークス : ウィキペディア日本語版
シアトル・シーホークス[ちょうおん]

シアトル・シーホークス (Seattle Seahawks) は、ワシントン州シアトルに本拠地を置くNFLチームである。2002年のリーグ再編に際しAFC西地区からNFC西地区に移動した。オーナーはポール・アレン。現時点でAFCチャンピオンシップゲームNFCチャンピオンシップゲームに出場した唯一のチーム。第48回スーパーボウルに勝利。第49回スーパーボウルに2年連続出場。
== 歴史 ==

=== 1980年代まで ===
1972年6月15日にシアトルにNFLエクスパンションチームを誘致するための組織ができ、2年後の1974年6月4日、28チーム目として設立が決定、同年12月5日、NFLのコミッショナー、ピート・ロゼールによってシアトルがエクスパンションチームのフランチャイズとなったことが発表された。翌1975年3月5日、ジョン・トンプソンゼネラルマネージャーになった。6月17日に公募されていたチームの愛称(20000人以上から1700を超える名称が寄せられた。)がシーホークスに決まった。トンプソンはミネソタ・バイキングスのアシスタントコーチであったジャック・パテラを初代ヘッドコーチに起用した。1976年3月30日、31日に同じエクスパンションチームであるタンパベイ・バッカニアーズと共に他の26球団にプロテクトされなかった選手を獲得後、ドラフトでは全体2位でDTのスティーブ・ニーハウス〔シアトル(1976-78)、ミネソタ(1979)、1976年に9.5サックをマークしてディフェンス・ルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。〕を指名した。同じ年オープンしたキングドームで1976年8月1日に行われたサンフランシスコ・フォーティナイナーズとの試合がチーム初の試合となった。
シーホークスはAFCとNFCの間を2度にわたり行き来した唯一のチームである。1976年はNFC西地区に属したが1シーズン終了後、バッカニアーズと入れ替わりAFC西地区に属するようになった。これはNFLの元々のプランであり、こうすることですべての他球団との試合が組まれた。2002年ヒューストン・テキサンズが32チーム目のフランチャイズとして加入したときに、各地区ごとのチーム数を4で統一させる際にNFC西地区に属するようになった。これによってAFC西地区に残った4チーム、デンバー・ブロンコスカンザスシティ・チーフスオークランド・レイダーズサンディエゴ・チャージャーズはいずれもアメリカン・フットボール・リーグ(AFL)からNFLに加入したチームとなった。これまでにAFC西地区で1988年1999年、NFC西地区で2004年から2007年まで4年連続地区優勝を果たした。1983年シーズンにAFCチャンピオンシップゲームまで進出、2005年には1984年シーズンから2004年シーズンまで長い間勝てなかったプレーオフで勝ち星をあげてNFCチャンピオンシップゲームにも勝利し第40回スーパーボウルに出場した。
1976年8月26日、シーホークスは翌年のドラフト8巡目指名権と引き換えにスティーブ・ラージェントを獲得した。同年10月17日にタンパベイ・バッカニアーズを破り初勝利をあげ、11月7日のアトランタ・ファルコンズ戦で地元での初勝利をあげた。この年は2勝12敗に終わったがジム・ゾーンとラージェントのプレイは注目されファンは足を運んだ。1977年1月17日にキングドームでプロボウルが行われ63214人の観衆が訪れた。この大会はプロボウル史上初のソールドアウトとなった。1977年のドラフトではダラス・カウボーイズに1巡目指名権を譲り代わりにカウボーイズの1巡目指名権と3つのドラフト2巡目指名権を獲得した。この時カウボーイズに譲られた指名権でトニー・ドーセットが指名された。
1977年シーズン開幕から4連敗した後、地元にバッカニアーズを迎え30-23で勝利をあげると、その2週間後の10月30日のバッファロー・ビルズ戦では負傷して4試合欠場していたゾーンが復帰し4タッチダウンをあげる活躍を見せてチームは56-17で勝利した。2シーズン目の1977年は5勝9敗で終えた。
1978年シーズン9勝7敗と初めて勝ち越しでシーズンを終え、ラージェントはNFL2位の1168ヤードを獲得した。ジャック・パテラはNFLのコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、ゾーンもAFCのプレイヤー・オブ・ザ・イヤーに選出された。またオークランド・レイダーズから1965年以来シーズン2勝をあげた初の対戦相手となった。
1979年10月29日にマンデーナイトフットボールに初出場した。アトランタ・ファルコンズに0-14とリードされたがその後31-28と逆転勝利をおさめたが、翌週のロサンゼルス・ラムズ戦ではNFLワースト記録となるオフェンス獲得ヤードがマイナス7ヤードに終わり0-24で完封負けを喫した。続く6試合で5勝をあげて9勝7敗でシーズンを終えた。
1980年、4勝3敗の後、9連敗で4勝12敗に終わると翌1981年のドラフト1巡目でUCLAのセイフティ、ケニー・イースリーを獲得した。1981年シーズン最初の6試合で5敗したが6勝10敗で終えた。スティーブ・ラージェントはレシーブで1224ヤードを獲得、12月6日のニューヨーク・ジェッツ戦でゾーンが負傷したため先発で初出場したデイブ・クレイグが26本中20本のパスを成功させ27-23で勝利をあげた。
ストライキで短縮された1982年シーズン開幕から2連敗したところでパテラは解任されてマイク・マコーミックが後任に就任した。チームは4勝5敗でシーズンを終えた。
1983年開幕前にチャック・ノックスがヘッドコーチに就任した〔。6勝6敗でプレーオフ争いをしていたチームは残り4試合で3勝をあげ初のプレーオフ出場を果たした〔。ワイルドカードプレーオフでルーキーQBのジョン・エルウェイ率いるデンバー・ブロンコスを31-7で破り、マイアミ・オレンジボウルで行われた同じくルーキーQBのダン・マリーノに率いられたマイアミ・ドルフィンズを27-20で破りAFCチャンピオンシップゲームに進出したが、ロサンゼルス・レイダーズに14-30と敗れスーパーボウル進出はならなかった。この年、カート・ワーナーが1449ヤードを走り14タッチダウンをあげてAFCルーキー・オブ・ザ・イヤーにノックスはAFCコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
1984年クリーブランド・ブラウンズとの開幕戦で33-0と勝利をおさめたがワーナーがシーズン絶望となるひざの負傷をしてしまった。ワーナーを欠いたチームは"グラウンド・チャック"と呼ばれたオフェンスからデイブ・クレイグに率いられた"エア・ノックス"と呼ばれるオフェンスにスタイルを変えた。8連勝を含み12勝4敗でシーズンを終えた。第9週のサンディエゴ・チャージャーズとのマンデーナイトフットボールではスティーブ・ラージェントが3TDをあげた。ディフェンスは相手チームを3回完封しており、第10週のカンザスシティ・チーフス戦ではインターセプトリターンでの4タッチダウンをあげるなど45-0で勝利した。シーズン終盤に連敗し地区優勝は逃したがレイダーズに13-7と勝利し、ディビジョナルプレーオフでドルフィンズに10-31で敗れた。ノックスはこの年もコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
1985年は連勝しては連敗する繰り返しで8勝8敗に終わった。この年クレイグは3602ヤードをパスで獲得した。
1986年は5勝2敗から4連敗したがその後5連勝で10勝6敗でシーズンを終えた。10勝6敗でその年の第21回スーパーボウルに出場を果たしたデンバー・ブロンコスニューヨーク・ジャイアンツに勝利したもののプレーオフ進出を逃した。
1987年、サプルメンタルドラフトの全体1位で1985年、1986年と2年連続ディック・バトカス]賞に選ばれたブライアン・ボズワースを獲得した。この年チームは9勝6敗でプレーオフに進出、プレーオフ初戦でヒューストン・オイラーズにオーバータイムの末20-23で敗れた。
1988年チームオーナーのノードストラム家からケン・ベーリングにチームが売却された。11月28日のロサンゼルス・レイダーズとのマンデーナイトフットボールでデイブ・クレイグは、MNF記録となる5TDパスを投げた。9勝7敗でAFC西地区初優勝を果たしたがプレーオフ初戦でシンシナティ・ベンガルズに13-21で敗れた。1989年、ベーリングはオークランド・レイダーズの元ヘッドコーチ、トム・フローレスを球団社長兼ゼネラルマネージャーに起用した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シアトル・シーホークス」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.