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サンディ・コーファックス : ミニ英和和英辞書
サンディ・コーファックス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

サンディ・コーファックス ( リダイレクト:サンディー・コーファックス ) : ウィキペディア日本語版
サンディー・コーファックス[ちょうおん]

サンフォード・ブラウン・コーファックスSanford Braun Koufax, 1935年12月30日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン出身の元プロ野球選手(投手)。現在はMLBロサンゼルス・ドジャースでスペシャルアドバイザーを務めている。
ニックネームは「The Left Arm of God」。
== 経歴 ==
ニューヨーク州ブルックリンで、ユダヤ教徒の家庭に生まれる。出生時の名前はサンフォード・ブラウンだったが、3歳の時に両親が離婚し、母親が弁護士のアール・コーファックスと再婚したため「コーファックス」の姓を名乗るようになった〔芝山幹郎 「誇り高き歴史を築いた男たち サンディ・コーファックス THE HALL of FAME SUPERSATRS」『月刊メジャー・リーグ』1997年2月号、ベースボールマガジン社、1997年、雑誌 08625-12、56 - 57項。〕。彼は現役引退直後に出版した自伝の中で「私が父と呼ぶのは、アール・コーファックスのみである」と明言している。
少年時代から抜群の運動神経に恵まれ、当時はバスケットボールが得意であった。シンシナティ大学からバスケットボールで奨学金を得て進学する〔。大学ではバスケット、野球の両方をプレイしていたが〔、「君の投げる球は物凄く速い。野球に将来を賭けてみないか」と地元のブルックリン・ドジャースに口説かれ〔、12月13日に契約する〔。当時の規定により、契約から2年間はメジャーに登録されなければならなかったため、マイナーリーグで腕を磨く機会を失う〔。6月8日故障者リストからロースター入りし、代わりに外されたのは、後の名将トミー・ラソーダだった。6月24日ミルウォーキー・ブレーブス戦でメジャーデビュー。8月27日シンシナティ・レッドレッグス戦では2安打14奪三振でメジャー初完投・初完封勝利を挙げた。チームがロサンゼルスに移転したは11勝11敗を記録したが、防御率4.48、リーグワースト2位の105四球、リーグワーストの17暴投だった。は8月31日サンフランシスコ・ジャイアンツ戦で当時のMLBタイ記録となる1試合18奪三振を記録するなどリーグ3位の173奪三振。チームはブレーブスと同率で並び、プレーオフを制して移転後初のリーグ優勝。シカゴ・ホワイトソックスとのワールドシリーズでは第5戦に先発し、1失点完投と好投するが援護がなく敗戦投手。チームは4勝2敗で4年ぶりのワールドチャンピオンに輝いた。は開幕から1勝8敗と出足でつまづき、チームメイトのドン・ドライスデールに次ぐリーグ2位の197奪三振を記録したものの8勝13敗、リーグワースト3位タイの100四球と制球難は相変わらずだった。
は大学への復学を考えていたが、スプリングトレーニングの際に捕手のノーム・シェリーから「なあ、今日は楽に投げてみないか。速い球で押しまくるんじゃなくて、カーヴチェンジアップを増やしたりしてさ」というアドバイス〔を受け、それをきっかけに制球難を克服し大きく成長する〔。同年は自身初のオールスターゲームに選出されるなど18勝13敗・防御率3.52・269奪三振を記録し、クリスティ・マシューソンがにマークした267奪三振のリーグ記録(20世紀以降)を更新〔して最多奪三振を獲得。
投手有利とされる新球場ドジャー・スタジアムが開場したに一気に開花する。4月24日シカゴ・カブス戦で2度目の18奪三振。6月30日ニューヨーク・メッツ戦で自身初のノーヒッターを達成するなど前半戦で13勝4敗・防御率2.15・202奪三振を記録。その後故障で離脱するが、9月に復帰。チームはジャイアンツと熾烈な優勝争いを演じ、残り7試合の時点で4ゲーム差を付けるが、その後1勝6敗と失速して同率で並ばれ、3試合制のプレーオフにもつれ込む。初戦の先発を任されるが、ウィリー・メイズに本塁打を浴びるなど2回途中3失点で降板し敗戦投手。結局1勝2敗で敗れてリーグ優勝を逃した。同年は14勝7敗・防御率2.54・216奪三振の成績で最優秀防御率のタイトルを獲得した。
5月11日の宿敵ジャイアンツ戦で自身2度目のノーヒットノーランを達成。フアン・マリシャルと並んでリーグトップの25勝(5敗)・防御率1.88、自身のリーグ記録を更新する306奪三振、リーグトップの11完封を記録し、最多勝・最優秀防御率・最多奪三振の投手三冠を達成し、チームのリーグ優勝の原動力となる。ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは第1戦に先発し、当時のシリーズ記録を更新する15奪三振で2失点完投勝利。第4戦でも無四球1失点完投勝利を挙げ、4連勝で4年ぶりのワールドチャンピオンとなり、シリーズMVPを獲得。オフにサイ・ヤング賞MVPをダブル受賞した。
のシーズン前にドライスデールと共に大幅な年俸増をオーナーのウォルター・オマリーに要求し、初の代理人交渉を行う。5月31日から11連勝を記録し、6月4日フィラデルフィア・フィリーズ戦で3年連続となるノーヒッターを達成。の故障で8月16日の登板を最後に故障者リスト入りするものの、19勝5敗・防御率1.74・223奪三振、リーグトップの7完封を記録し、3年連続で最優秀防御率のタイトルを獲得した。
5月30日から再び11連勝。9月9日シカゴ・カブス戦で14三振を奪って完全試合を達成し、史上初の4年連続ノーヒッターを達成。26勝8敗・防御率2.04、にルーブ・ワッデルが記録した当時のメジャー記録349を更新する382奪三振〔、共にリーグトップの335.2イニング・27完投を記録し、2度目の投手三冠を達成。チームもジャイアンツとの熾烈な優勝争いを制しリーグ優勝。ミネソタ・ツインズとのワールドシリーズでは第1戦の10月6日がユダヤ教最大の祭日であるヨム・キプルと重なったため先発を拒否し、ユダヤ人コミュニティから称賛を浴びる。代わりにドライスデールが先発するがノックアウト。第2戦に先発するが中盤に打ち込まれて敗戦投手となる。第5戦では4安打10奪三振完封勝利。シリーズは第7戦にもつれ込み、ローテーション通りならば先発はドライスデールの順番だったが、ウォルター・オルストン監督はコーファックスを中2日でマウンドに送る。見事に期待に応えて3安打10奪三振で完封、2年ぶりのワールドチャンピオンをもたらし2度目のシリーズMVPを獲得した。オフに2度目のサイ・ヤング賞を受賞し、MVPの投票でも2位に入った。
は前半戦で8連勝を記録するなど15勝4敗・防御率1.60の成績で、6年連続の選出となったオールスターゲームでは先発投手を務めた。27勝9敗・防御率1.73・317奪三振、いずれもリーグトップの323.0イニング・27完投・5完封を記録し2年連続の投手三冠を達成、リーグ連覇に貢献する。ボルチモア・オリオールズとのワールドシリーズでは前年に続き第2戦に先発するが、6回4失点(自責点1)で降板、打線もジム・パーマーに完封され敗戦投手。チームは第3戦・第4戦も完封負けで4連敗と一蹴され、敗退した。シリーズ終了後、登板過多による左肘の故障を理由に30歳の若さで突如引退を発表する。引退の理由を「お金よりも大事なものがある」「野球を辞めた後も続く長い人生を健康な身体で送りたい」と語った〔。
に史上最年少の36歳で野球殿堂入りを果たす〔。同年6月4日には背番号32」が、ロイ・キャンパネラの『39』と共にドジャースの永久欠番に指定された。
引退後の5年間はNBCで解説者を務め、その後現在までドジャースの特別アドバイザーとして後進の指導を行っている。毎年ドジャースのスプリングトレーニングを訪れ、過去には野茂英雄石井一久を指導したこともある。2013年現在も健在ではあるが、メディアへの露出を極端に嫌い、彼の伝記 ''"A Lefty's Legacy"'' がユダヤ系アメリカ人ライターのジェーン・リーヴィーによって書かれた時も、本人は取材を拒否している。なおこの伝記は彼の友人・知人が『本人の許可のもと』著者のインタビューに応じて完成されたものである。
1月22日にドジャースのスペシャルアドバイザーに就任し、スプリングトレーニングでドジャースの投手たちにアドバイスを送った他、4月1日にはドジャー・スタジアムで始球式に招待されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サンディー・コーファックス」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sandy Koufax 」があります。




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