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ココストアイースト : ミニ英和和英辞書
ココストアイースト[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ココストアイースト : ウィキペディア日本語版
ココストアイースト[ちょうおん]

株式会社ココストアイースト()は、かつて存在した北関東を中心とする東日本地域と沖縄県でコンビニエンスストア(CVS)「ココストア」のフランチャイズチェーンの運営統括を行っていた企業。
2008年(平成20年)3月までの店舗はホットスパーであったが、2008年(平成20年)4月より全ての店舗がココストアへ転換した。
2015年(平成27年)9月1日には株式会社ココストアに吸収合併され同社関東支店となった。さらに2015年12月1日には株式会社ココストアが株式会社ファミリーマートに吸収合併されている。
== 歴史 ==

=== 創業からココストアの傘下入りまで ===

茨城県を地盤とする食品スーパーカスミの事実上の創業者である神林照雄が、自分の経営するスーパーとの競合で衰退する小規模店との共存を考えていた際に、ヨーロッパのボランタリーチェーンスパーを知り〔、1977年(昭和52年)12月に株式会社茨城県地区スパー本部を設立してボランタリーチェーン事業に乗り出したのが始まりである〔。
当初は生鮮食料品を中心に扱う小型スーパーマーケットの形態の店舗をボランタリーチェーンとして展開していたが〔、1985年(昭和60年)3月にコンビニエンスストアホットスパーの1号店開業して徐々にコンビニエンスストア形態の店舗の展開を始め〔、加盟店との契約形態も当初のボランタリーチェーンから1991年(平成3年)10月に導入した〔フランチャイズチェーンへ転換を図った。
1989年平成元年)2月と7月に完全子会社化していた首都圏地域スパー本部株式会社と沖縄スパー本部株式会社〔の事業を1993年(平成5年)3月には吸収し、同年には加盟していた全日本スパー本部にコンビニエンスストア事業部を発足させて仕入や商品開発でスケールメリットの確保を目指し〔、1995年(平成7年)8月3日には株式を店頭公開する〔など成長への基盤を固めたが、同年でも約770店舗のうち約500店舗がボランタリーチェーン形態となっていた。
この当時の約770店舗〔は同年2月末時点で1582店舗だった全日本スパー本部全体の店舗数の約半分に当たる圧倒的なものであり、全日本スパー本部の社長も当社の当時の親会社の前社長神林照雄から当時の社長で当社会長だった神林章夫に同年交代する〔など全日本スパーグループの中核となっていた。
そのため1986年(昭和61年)9月から韓国スパー本部からの社員研修受入れを始めた際には当社が担当していた。
1995年(平成7年)からは株式公開で調達した約24億円を投じて本拠地の茨城県を中心に販売委託形の新店舗を出店して優位な立地の確保をすると共に旧タイプの店舗の販売力強化も目指した〔が、
加盟店オーナーから起こされた訴訟の影響で当時上場していたコンビニエンスストア4社中唯一1996年(平成8年)上期の店舗の増加数が前年実績を下回り、直営店の増加でコストがアップする一方で旧ボランタリーチェーン契約店を中心とした既存店が伸び悩んで同期のチェーン全店の売上利益は共に微増に留まった。
1997年(平成9年)7月28日には株式会社甲信ホットスパーを設立して長野県・山梨県でのコンビニエンスストアの展開に乗り出し、同年8月には薬事法改正を視野に調剤薬局を組み入れた複合型コンビニエンスストアを茨城県に開設するなど地域や業態面で新たな展開を進めた。
しかし、1998年(平成10年)2月期決算で既存店売上が約2.7%の減少になると共に年度中の閉店数が79店舗で新規出店の61店舗を上回って店舗数も844店舗へ純減となった上、直営店比率が約15%まで上昇したことなどの影響で約1.52億円の最終損失となって設立以来初の赤字に転じた。
この決算を受けて1999年(平成11年)2月期は店舗数を50店増やすと共に直営店をフランチャイズ店に切替えるなどして増収増益を目指すとしていた〔が、業績不振が続いたため1998年(平成10年)10月に社長解任して経営再建を進めることになり、大手コンビニエンスストアチェーンの店舗開発が当社の地盤である茨城県を含む北関東へ広がってきた影響で業績が伸び悩み、逆に期中に不採算店153店舗の閉鎖に追い込まれて店舗数の純減が続くことになると共に、約70.71億円の最終損失という大幅な赤字で2期連続の赤字となった。
それまでの事業展開の負の遺産を整理する一環として加盟店側に従来より優位な結果となって〔コンビニ・FC加盟店全国協議会などを結成して本部に集団で対応し始めた加盟店オーナーを結果的に勇気付けることになったものの、同年4月13日には店舗の明け渡しと同様の訴訟取り下げを条件に売掛債権・中途解約金などを一律に放棄する内容の和解が水戸地方裁判所土浦支部で成立させて当社の店舗数伸び悩みの切っ掛けとなった訴訟〔を終結させ〔、5月には元伊藤忠フランス社長を新社長に就任させるなど従来の路線を転換して経営再建を進めていった〔。
こうした成長の限界に対応すべく、2000年(平成12年)2月期には新たには焼きたてパンやチルド弁当などを導入し、2000年(平成12年)7月には千葉県船橋市や埼玉県浦和市(現在のさいたま市浦和区)にインストアベーカリーやイートインコーナーなどを設置してファーストフード関連を強化した都市型店舗の実験店を展開して首都圏での店舗拡充を目指すなどの対応を進めたが、2001年(平成13年)3月に盛田グループココストアがカスミグループの所有する約46.29%を含む全株式を公開買付(TOB)で取得して資本・業務提携してその傘下に入ることとなった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ココストアイースト」の詳細全文を読む




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